2012年4月16日月曜日

【思い出の共有】岡本太郎生誕100年企画展の写真と名言

昨夜,放送された情熱大陸で岡本太郎氏の『自分の中に毒を
持て』が紹介されたことで,Amazonのランキングにおいて1位
を獲得していました。昨年の11月頃に本書を読み感動したこと
で今でも機会がある度に読み返しています。


今回は,昨年に渋谷パルコで行われた「岡本太郎生誕100年
企画展」で撮影した作品と自分の中に毒を持て』の中で書か
れている岡本太郎氏の「名言を併せて皆さんに紹介したい
思います。



    自分らしくある必要はない。むしろ,“人間らしく”生きる道を考えてほしい。(p.12)



挑戦した上での不成功者と,挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。挑戦した不成功者には,再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが,挑戦を避けたままでオリてしまったやつには新しい人生などはない。(p.26)



体当たりする前から,きっとうまくいなかないんじゃないかなんて,自分で決めて諦めてしまう。愚かなことだ。ほんとうに生きるということは,自分で自分を崖から突き落とし,自分自身と闘って,運命をきりひらいていくことなんだ。(p.30)



この世に苦しみ悩んでいるのは決して自分だけじゃない。世の中の人ほとんどが,おなじ悩みを持っていると言ってもいい。不満かもしれないが,この社会生活以外にどんな生き方があるか。まともにこの社会というものを見すえ,自分がその中でどういう生き方をすべきか,どういう役割を果たすのか,決めなければばらない。(p.104)



激しく挑み続けても,世の中は変わらない。しかし,世の中は変わらなくても自分自身は変わる。(p.124)


多くの他人との出会いによって,人間は“他人”を発見する。“他人”を発見するということは,結局“自己”の発見なのだ。つまり“自己”を発見するためには,おおぜいの協力者が必要になる。(p.145)


どんなにすごい美人にでも,無視されてもいいから,彼女のそばで,気持ちをひらけばいいんだ。愛情を素直に彼女に示すんだ。その結果,彼女から答えが得られようが得られなかろうが,お返しを期待せずに自分の心をひらくことで,自分自身が救われるはずだ。(p.155)


おれは神聖な火炎を大事にして,まもろうとしている。大事にするから,弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃えあがり,あとは無。-爆発するんだ。(p.194)


何でもいい,見物人ではなく,とにかく自分でやってみよう。動いてみよう。(p.212)


自分を大事にしようとするから,逆に生きがいを失ってしまうのだ。己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し,生きぬかなければならない。(p.216)


2012年4月8日日曜日

【大学生向け】大学生の履修について思うこと




大学に通う身としてなんですが,楽勝科目やブラック科目を
学生同士で話し合い一喜一憂している光景が,現実として
あるので「大学の役割」が終わっているという指摘も完全に
は否定出来ないですね。それでも,社会人として1人前?に
なれてしまうのですから。


別に,「大学で勉強している人=偉い」という訳でもなく,もし
かしたら僕の周りだけがそうだけなのかも知れないので,断
はもちろんできません。ただ,あまりにも「教育」というもの
が蔑ろにされている気がして寂しいんですよね。大学側だけ
の問題ではないですよ。


休学を終えて改めて講義を見ても前とあまり変わり映えして
ないですね。また,学生も大学に文句を言う前に態度(行動)
で示した方がいいですよ。「居眠り」や「お喋り」という幼稚な
行動では何も変わりませんからね


上記の言葉は,履修シラバスを見ながら履修を考えていた
時に思いついたものです。休学という形で大学を一時離れ
ており,今回の履修(前期のみ)は,最後になるのでしっか
りとしたものにしたいと考えています。


大学の役割」が終わったという指摘と同時に,学生側にも
大いに責任があり自覚すべきだと思います。簡単な科目よ
りも少しでも背伸びをして難しい科目を履修すべきではない
でしょうか。今までの日本人教授による講義に文句がある
なら,外国人講師による英語の講義を受けるなど,「改善」
はいくらでもできます。


大学(の教授)を変えたいなら,行動(態度)で示しましょう。


<参考図書>


マイクロソフトでは出会えなかった転職 僕はこうして社会起業家になった 
http://www.amazon.co.jp/dp/4270002484/ref=cm_sw_r_tw_dp_0CsGpb11R62FK 

2012年4月7日土曜日

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道,
ふとあること」に気が付きTwitterでツイートをしました。


男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに
「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合,そこに「萌え」
という感情は湧かない。ある意味で,「着物」や「浴衣」と同じな
のかもしれない。 #ひとりごと


皆さんからすれば,「君はなんてことを考えているのだ!
とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ


4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより,リクルート
スーツを着た就職活動生が忙しそうしている姿を駅や学校な
どで頻繁に見かけるようなりました。



リクルートスーツに関しては,以前から「学生の個性を消している」や「皆が同じ格好をしていて気味が悪い」などのような意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。)






高島屋がスーツ禁止の入社式
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html


このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で
は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と
して認知されているのが現状です。


しかしそんな中,世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク
ルートスーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「カワイイ」あ
るいは萌え」という感情を抱いている場合が多いです。


反対に,世の女子の多く(正確な数値は不明)は,リクルート
スーツを着た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という印象
を抱く場合が多いようです。(あくまでも,個人の主観です)


では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。


なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか?


(皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い
ますが,一般的な傾向として理解して頂けると助かります。)


正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「非日常
を見い出すことが可能だからだと思います。意味不明だと思
方もいると思うので,具体例などを用いて説明します。


もし,女子の皆さんが日常的にリクルートスーツを私服と同じ
ように着ていたとしたら,男子の皆さんはどのように思われま
すか?恐らく,いつもと変わらぬ光景(服装)だと思い,気にも
留めないでしょう。


また,リクルートスーツと同じような現象は,夏祭りの季節に
よく見かける浴衣」や卒業式シーズンの「袴姿」などと同じ説
が可能です。


つまり,「非日常」つまり「ギャップ」の有無が大事なのです。
さらに,砕けた言い方をすると「ギャップ萌え」ということに
なります。ギャップの「振れ幅」の大きさも重要です。


普段,見かけることが無い格好を見ると,人はどうしても気に
留めざるを得なくなります。ある意味,「コスプレ」も同じです。


つまり,女子の日常的な私服ではなく,リクルートスーツという
非日常(的な格好)」を見ることで,男子の多くが「ギャップ」を
見い出し,「カワイイ」や「萌え」という感情を抱くのだ,という結
論に達しました。


これは,ビジネスでも同じで現代のようにモノに恵まれ,豊か
環境で育った日本人の消費者を惹きつけるには,「非日常」
体感できるようなサービスや商品を提供しなくては生き残る
とができません。


好例が,「東京ディズニーランド」や「キッザニア」だと思います。
これらの空間は,明らかに日常的世界からよい意味でかけ離
た「非日常的体験(価値)」を提供しているからこそ,消費者
はそのギャップに惹きつけられ,価値を見い出し,リピーター
として何度も足を運ぶのです。


最後は,やや話が脱線しましたが今回の記事のように趣向を
変えることで,いつもとは異なる(=非日常)頭の使い方をして
文章をいつもより楽しく書く事が出来ました。(真面目ですw)


皆さんも,このような考えをぜひシェアしていきましょう。

ソーシャル世代は“異なる舞台”で価値を創造せよ




4月に入り,就職活動生や新入社員を見かける機会が頻繁に
増えています。Twitterなどを通じて交流していた方々が,自分
の道を進んでいる姿に刺激を受ける毎日です。


特に,Twitterやブログなどを効果的に利用し「評価」を築いて
いた「ソーシャル世代」の学生の多くが,IT業界に進んでいる
様子を知り,さらにIT業界が盛り上がることを期待しています。


しかし,このことに大変勝手ながら少し「寂しさ」を感じています。


なぜなら,学生時代にTwitterやブログで培った「情報収集力
や「情報発信力」という「強み」を,自分よりも(能力的に)優れ
ている人々の中(≒レッドオーシャン)で発揮しても,「差別化
を図りにくいからです。


別に,Twitterやブログを利用していること=優秀という訳で
ありませんし,他人の進路にケチをつけたい訳ではありません。
しかし,このような優れた「ITスキル」の一種をなる舞台(IT
業界以外)」で発揮することは,これからの時代において「大き
な価値」を発揮することが可能だと思っています。


特に,ソーシャルメディアを利用した「情報収集力」や「情報発
信力」などの能力に馴染みが無く,そのような人材が不足して
いる業界や企業などにおいて,このような能力を有する人材
は,極めて貴重だと言えます。(もちろん,「仕事ができるか否
か」が重要であることに異論はありません。)


また,彼らのような「一見風変わり」な人材を組織に受け入れ
ることで,大きな化学変化に繋がる可能性もあるのではない
でしょうか。比較的,情報感度が高く,キャリアなどにも積極的
な人材が数多くいるという印象があります。


同じような能力を有する仲間同士で,いつも一緒にいると得
して「井の中の蛙」になる傾向が高まります。また,先ほど
能力に対する「希少性」も低くなるのではないでしょうか。


ならば,いっそのこと「情報収集力」や「情報発信力」などの
能力が不足している組織で,その希少性を発揮し,差別化
を図り,「価値を創造する」方がワクワクすると思いませんか?


今回の記事が,「どこの舞台なら最大限に自分を表現し,価値
を創造することができるのか」を考えるキッカケになれば幸いです。

2012年4月1日日曜日

疑似体験ではなく実体験に価値がある時代が到来した

TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアが普及したことにより,今まで自分と関わることが不可能であった人たちと繋がりを持てるようになり,彼らの行動が可視化されるようになり,コミュニケーションの幅と量が急激に増加しているのが昨今の現状だと云えます。




世界一周をされている方の近況,仕事やビジネスの現場で活躍されている方のツイートやシェアを見るとまるで自分が体験しているかのような気分になります。これを「ウェブにおける疑似体験」とします。


しかし,その情報も実際に「リアル」で行動されている方が発信する情報ではありますが,良くも悪くも「バイアス」(主観)が含まれていることは否めません。例えば,ある国を訪れた方が「ここは,〇〇が良いですよ!」と伝えても,人それぞれ感じ方は異なるはずです。しかし,もちろん全員がその場でリアルに体験を出来る訳ではないので,どうしてもそういった情報を鵜呑みまでは往かなくとも受容してしまいがちです。つまり,「自分の足で稼いだ情報」ではないのです。





このようなウェブにおける疑似体験」が「肥大化」することで,私たちはまるで「実際にやっていないのに物事を知ったつもりになる」という現象がどうしても起きてしまいがちです。まるで,「行動」をせずに「傍観」だけに終始してしまうようになるのです。これは,実際に社会で働いたことがない学生(就職活動生)にも当てはまるのではないでしょうか。


例えば,ある著名人が「新卒一括採用はおかしい!」と主張すると実際に社会経験が無い多くの学生は,判断をするための経験が無いために,その情報を鵜呑みにしてしまい「新卒一括採用は,個人と組織の停滞を招くことになる」とまるで「評論家」のような態度をとってしまいがちです。(もちろん,制度の是非はありますが,制度のメリットとデメリットを考慮した上で発言をする方が賢明だと思います。


こういったソーシャルメディアで他人の行動が可視化され,他人の体験を「疑似体験」しやすくなった時代だからこそ,「実体験に価値がある時代」になるのではないでしょうか。まさに,ブロガーのちきりん氏が指摘している「自分の頭で考えように通じる考え方だと思います。


知ったつもりになる」ことを防ぐには,自らの「目」で現場を見て,自らの「足」で情報を稼ぐことが重要になるでしょう。言い換えれば,一次情報を他人に頼るのではなく,自分で手に入れる位の気概と行動力を発揮する必要があると云えます。もちろん,自分の情報すらもある種の「バイアス」がかかっていますが,その情報に基づく「判断」(自分の頭で考える)であるなら,結果も良い方向に出やすいと思います。「体験」は自分でしなければほぼ無意味になります。


また,自分が手に入れがたい経験(情報)はもちろん存在しています。しかし,そこでもそれらの経験(情報)を「自分の力」で手に入れることが一層大事だと思います。例えば,Twitterで気になる人がいれば,ただその人のツイートを「RT」や「お気に入り」するだけではなく,実際に連絡を入れてお話しする機会を手に入れる必要があります。そこで得られる情報は,ウェブ上で得られる情報の「数倍の価値」があると断言できます。


TwitterやFacebookなどのツールが普及している現代からこそ,一見地味なアナログ的行動の価値が上がるのだと思います。私たちは「便利さ」を享受したものの,「行動」に移すための気持ちを失いつつあります。そんな今だからこそ,「疑似体験」では済ませず「実体験」を求めて行動していくべきなのだと思います。