「あなたが学生時代に頑張ったことはなんですか?」
「あなたはどのような目的でその行動をしましたか?」
「あなたが没頭しているときはどんな時ですか?」
「あなたは、その活動をしている理由はなんですか?
「その活動を通じて、あなたは何を得ましたか?」
上記の質問は、企業の面接でよく聞かれる定番の質問である。
企業側が見ているのは、その行動に対して「PDCA」が出来ているかどうか、
またその人の行動特性を把握しようとしている。それをビジネスに生かす
ことができるのかどうかを判断することが目的である。
ただ、学生側もこのような質問を受けることで
「そんなこと考えたことも無かったよ・・。」と
悩むのである。しかし、このような質問を受けることで、
その行動が自分にとってどのような「意味」
があるのかを深く考えることが出来る。
学生の思考パターンを見ることが出来る。その意味では、
非常に重要な質問なのかもしれない。
しかし、僕たちは自分たちの行動全てに「意味」を求めているのだろうか?
「この行動を〇〇という目的で行い、△△という工夫をし、将来的には☓☓というスキルを身につけることが出来る」ということを毎回考えているのだろうか。僕自身は、人間の行動は極めて「単純」なものであり、あまり深く「意味」を求めて行動をしているとは思っていない。
あまりにも「行動」に対して「意味」を追求することは、自らの可能性を殺すことになるのではないか?
2005年のスタンフォード大学で行われたApple CEO スティーブ・ジョブズ
のスピーチの一節に、「点と点をつなぐ」という話がある。
リード大学は、カリグラフィ教育において、おそらく当時国内最高水準でした。キャンパス中どこでも、ポスターやら戸棚のひとつひとつに貼るラベルなど、すべてが美しい手書きのカリグラフィで飾られていました。私はもうドロップアウトしていて普通の授業には出なくていいわけですから、カリグラフィのクラスに出て、そのやり方を学んでみようと思ったのです。セリフとサンセリフの書体、さまざまな字の組み合わせに応じて文字間隔を調整する手法や、美しい字体は何が美しいのかなどを学びました。それは美しく、歴史があり、科学ではとらえられない繊細な芸術性をもった世界です。私は夢中になりました。
もちろんそのとき、これらが人生の上で実際に役に立つ可能性があるなどとは思ってもみませんでした。しかし10年後、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計していたとき、その時のことがよみがえってきたのです。そこで私たちは、それらをすべてマックに組み込みました。美しいフォントを持った初めてのコンピュータです。もし私が、大学であの授業にもぐりこんでいなかったとしたら、マックには複数フォントも字間調整フォントも入っていなかったでしょう。ウィンドウズは単にマックをコピーしたものなので(笑)、パソコンがそれらを持つことはなかっただろうと思います(拍手)。もし私がドロップアウトしていなかったら、あのカリグラフィのクラスにもぐりこむこともなく、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかったでしょう。もちろん、大学にいた当時、そんな先々のことまで考えて点と点をつなげてみるようなことはできませんでした。しかし10年後からふり返ってみると、非常にはっきりと見えるわけです。
彼は、カリグラフィが将来役に立つことを計算してその授業に出席していた訳ではないでしょう。ただ、漠然と「面白そう!」と思ったから出席していたのだと想う。
「点は「将来」に向けて繋げることは出来ないけれど、「過去」に向けて繋げることは出来る」と、彼は加えて述べている。
最後に述べたいことは、あまり自分の行動に対して深い「意味」を求めることは、かえって自分を苦しめることになる可能性があるのです。むしろ、単純な動機「これって面白そう!」「これってイケてる!」くらいの目的で行動を起こしたほうが、物事はうまくいくかもしれない。
可能性を殺すのではなく、むしろ可能性を大きく広げていこう。
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