スキップしてメイン コンテンツに移動

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道,
ふとあること」に気が付きTwitterでツイートをしました。


男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに
「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合,そこに「萌え」
という感情は湧かない。ある意味で,「着物」や「浴衣」と同じな
のかもしれない。 #ひとりごと


皆さんからすれば,「君はなんてことを考えているのだ!
とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ


4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより,リクルート
スーツを着た就職活動生が忙しそうしている姿を駅や学校な
どで頻繁に見かけるようなりました。



リクルートスーツに関しては,以前から「学生の個性を消している」や「皆が同じ格好をしていて気味が悪い」などのような意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。)






高島屋がスーツ禁止の入社式
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html


このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で
は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と
して認知されているのが現状です。


しかしそんな中,世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク
ルートスーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「カワイイ」あ
るいは萌え」という感情を抱いている場合が多いです。


反対に,世の女子の多く(正確な数値は不明)は,リクルート
スーツを着た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という印象
を抱く場合が多いようです。(あくまでも,個人の主観です)


では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。


なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか?


(皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い
ますが,一般的な傾向として理解して頂けると助かります。)


正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「非日常
を見い出すことが可能だからだと思います。意味不明だと思
方もいると思うので,具体例などを用いて説明します。


もし,女子の皆さんが日常的にリクルートスーツを私服と同じ
ように着ていたとしたら,男子の皆さんはどのように思われま
すか?恐らく,いつもと変わらぬ光景(服装)だと思い,気にも
留めないでしょう。


また,リクルートスーツと同じような現象は,夏祭りの季節に
よく見かける浴衣」や卒業式シーズンの「袴姿」などと同じ説
が可能です。


つまり,「非日常」つまり「ギャップ」の有無が大事なのです。
さらに,砕けた言い方をすると「ギャップ萌え」ということに
なります。ギャップの「振れ幅」の大きさも重要です。


普段,見かけることが無い格好を見ると,人はどうしても気に
留めざるを得なくなります。ある意味,「コスプレ」も同じです。


つまり,女子の日常的な私服ではなく,リクルートスーツという
非日常(的な格好)」を見ることで,男子の多くが「ギャップ」を
見い出し,「カワイイ」や「萌え」という感情を抱くのだ,という結
論に達しました。


これは,ビジネスでも同じで現代のようにモノに恵まれ,豊か
環境で育った日本人の消費者を惹きつけるには,「非日常」
体感できるようなサービスや商品を提供しなくては生き残る
とができません。


好例が,「東京ディズニーランド」や「キッザニア」だと思います。
これらの空間は,明らかに日常的世界からよい意味でかけ離
た「非日常的体験(価値)」を提供しているからこそ,消費者
はそのギャップに惹きつけられ,価値を見い出し,リピーター
として何度も足を運ぶのです。


最後は,やや話が脱線しましたが今回の記事のように趣向を
変えることで,いつもとは異なる(=非日常)頭の使い方をして
文章をいつもより楽しく書く事が出来ました。(真面目ですw)


皆さんも,このような考えをぜひシェアしていきましょう。

コメント

このブログの人気の投稿

[仕事]大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に

仕事は “大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に” やりなさい 入社以来、直属の上司から繰り返し何度も言われている言葉です。要するに「 ミスを恐れて萎縮しないようにしながら、何事にも決して慢心かつ油断せずに仕事に取り組む ことが大事である 」ということを私に伝えたかったのだと思います。 細かい部分にも目を配れる人は、言葉次第でミスを恐れず大胆に行くように指示を出せるが、細かい部分を蔑ろにする人にはいくら言葉で注意しても修正するのが難しい 、とも頻繁に言われています。よく指摘される「 細部に神が宿る 」とは正にこのことです。 これからも「 確認 」を怠らずに仕事の量と質の向上を意識して働ければと思います。

現代は「選択肢が少ない」方が幸せかも知れない-「選べないなら、選ばない」-

ツイート 「選ぼうとするから選べない」むしろ「敢えて"選ばない"」というシンプルな考え方。 過度な主体性ではなく,流れに(意識して)身を任せる受動性。(過去のツイート) 膨大な選択肢から無理して何かを選ぼうとするときつくなる。選べないなら、選ばない。取りあえず限られた選択肢の中で選ぶ。"良い"選択肢は少なくなったかも知れないけど、選ぶ際の負担は軽くなった。これからは選択肢を「選ぶこと」から「捨てること」という考えにシフトしていきます。(過去のツイート) 私たちは,人生の中でことある度に 「選択すること」 を否応なしに迫られています。 何を食べるのか , 何を飲むか , どの学校に進学するのか , どこに就職するのか , 誰と結婚するのか , 老後はどこで過ごすのか ,など多くの選択が私たちの人生を決定づけると云っても過言ではありません。 また,選択肢の多さや比較的自由に選択できる権利は,多くの場合 「経済的環境」 と関連があると思います。その意味で,先進国の日本は比較的多くの選択ができるという意味では,非常に恵まれた環境です。 インド のような カースト制度 はなく,海外からの信頼の証であるパスポートを持ち 海外旅行 にも自由に行くことが出来る,また 学歴社会 といえども就職先も基本的には 自由意思 で選ぶことが出来る,私たちは数え切れないほどの 選択肢 と 選択の自由 を抱えて暮らしています。さらに,昨今の ソーシャルメディア の普及により 膨大な情報 とそれに伴う形で (本来,知るはずのない)選択肢 が可視化されるようになりました。それが,結果的に 「 隣の芝は青く見える 」 ことになるのです。 ところで皆さんは, 数多くの選択肢があることを幸せだと感じますか 。もちろん,選択できないよりは出来た方がいいに決まっていますが,果たして本当に幸せなのだろうかというのが,ここ最近私が考えていることです。 過剰な選択肢 は時として, 大きな迷いを生み決断を遅らせる原因 となっているのではないでしょうか。 日本でも非常に売れている 『選択の科学』 の著者でコロンビア大学の シーナ・アイエンガー教授 のTEDスピーチ 「いかに簡単に選択をするのか」 が,私が考えていることを分かりやすく