スキップしてメイン コンテンツに移動

疑似体験ではなく実体験に価値がある時代が到来した

TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアが普及したことにより,今まで自分と関わることが不可能であった人たちと繋がりを持てるようになり,彼らの行動が可視化されるようになり,コミュニケーションの幅と量が急激に増加しているのが昨今の現状だと云えます。




世界一周をされている方の近況,仕事やビジネスの現場で活躍されている方のツイートやシェアを見るとまるで自分が体験しているかのような気分になります。これを「ウェブにおける疑似体験」とします。


しかし,その情報も実際に「リアル」で行動されている方が発信する情報ではありますが,良くも悪くも「バイアス」(主観)が含まれていることは否めません。例えば,ある国を訪れた方が「ここは,〇〇が良いですよ!」と伝えても,人それぞれ感じ方は異なるはずです。しかし,もちろん全員がその場でリアルに体験を出来る訳ではないので,どうしてもそういった情報を鵜呑みまでは往かなくとも受容してしまいがちです。つまり,「自分の足で稼いだ情報」ではないのです。





このようなウェブにおける疑似体験」が「肥大化」することで,私たちはまるで「実際にやっていないのに物事を知ったつもりになる」という現象がどうしても起きてしまいがちです。まるで,「行動」をせずに「傍観」だけに終始してしまうようになるのです。これは,実際に社会で働いたことがない学生(就職活動生)にも当てはまるのではないでしょうか。


例えば,ある著名人が「新卒一括採用はおかしい!」と主張すると実際に社会経験が無い多くの学生は,判断をするための経験が無いために,その情報を鵜呑みにしてしまい「新卒一括採用は,個人と組織の停滞を招くことになる」とまるで「評論家」のような態度をとってしまいがちです。(もちろん,制度の是非はありますが,制度のメリットとデメリットを考慮した上で発言をする方が賢明だと思います。


こういったソーシャルメディアで他人の行動が可視化され,他人の体験を「疑似体験」しやすくなった時代だからこそ,「実体験に価値がある時代」になるのではないでしょうか。まさに,ブロガーのちきりん氏が指摘している「自分の頭で考えように通じる考え方だと思います。


知ったつもりになる」ことを防ぐには,自らの「目」で現場を見て,自らの「足」で情報を稼ぐことが重要になるでしょう。言い換えれば,一次情報を他人に頼るのではなく,自分で手に入れる位の気概と行動力を発揮する必要があると云えます。もちろん,自分の情報すらもある種の「バイアス」がかかっていますが,その情報に基づく「判断」(自分の頭で考える)であるなら,結果も良い方向に出やすいと思います。「体験」は自分でしなければほぼ無意味になります。


また,自分が手に入れがたい経験(情報)はもちろん存在しています。しかし,そこでもそれらの経験(情報)を「自分の力」で手に入れることが一層大事だと思います。例えば,Twitterで気になる人がいれば,ただその人のツイートを「RT」や「お気に入り」するだけではなく,実際に連絡を入れてお話しする機会を手に入れる必要があります。そこで得られる情報は,ウェブ上で得られる情報の「数倍の価値」があると断言できます。


TwitterやFacebookなどのツールが普及している現代からこそ,一見地味なアナログ的行動の価値が上がるのだと思います。私たちは「便利さ」を享受したものの,「行動」に移すための気持ちを失いつつあります。そんな今だからこそ,「疑似体験」では済ませず「実体験」を求めて行動していくべきなのだと思います。

コメント

  1. これ、本当に同意です。

    先日、とあるイベントに参加し、一番強く感じたことは、

    「自分が体験したこと、感じたこと、そこから考えて深めたもの」
    が、大切なのだろう、

    ということでした。


    何人かの方から
    「本当に色んなこと知ってるね」
    と言っていただいたのですが、それらは所詮、本やTED、人の言っていたことの受け売りであり、
    実際、発表で高評価を得たり、表彰されていたチーム、個人は、
    そのような価値ある一次体験を上手く伝えられていた人たちばかりだなー
    と思いました。(けっこう悔しかったです。笑)

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます!

      疑似体験が増えると,体験した「気」になりやすい
      ですよね。それでも,1次情報/実体験を得る人は,
      厳しい中でも生き残れるのではないかと思います。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道, ふと 「 あること 」に気が付きTwitterでツイートをしました。 男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに 「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合, そこに「萌え」 という感情は湧かない。ある意味で,「着物」 や「浴衣」と同じな のかもしれない。 #ひとりごと 皆さんからすれば,「 君はなんてことを考えているのだ! 」 とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ 4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより, リクルート スーツを着た就職活動生が忙しそう に している姿を駅や学校な どで頻繁に見かけるよう なりました。 リクルートスーツに関しては,以前から「 学生の個性を消して いる 」や「 皆が同じ格好をしていて気味が悪い 」などのような 意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状 です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。) 高島屋がスーツ禁止の入社式 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と して認知されているのが現状です。 しかしそんな中, 世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク ルート スーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「 カワイイ 」あ るいは 「 萌え 」という感情を抱いている場合が多いです。 反対に, 世の女子の多く (正確な数値は不明)は,リクル ート スーツを着 た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という 印象 を抱く場合が 多いようです。(あくまでも,個人の主観です) では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。 「 なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか? 」 (皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い ます が, 一般的な傾向として理解して頂けると助かります。) 正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「 非日常 」 を見い出すことが可能だからだと思います。

[仕事]大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に

仕事は “大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に” やりなさい 入社以来、直属の上司から繰り返し何度も言われている言葉です。要するに「 ミスを恐れて萎縮しないようにしながら、何事にも決して慢心かつ油断せずに仕事に取り組む ことが大事である 」ということを私に伝えたかったのだと思います。 細かい部分にも目を配れる人は、言葉次第でミスを恐れず大胆に行くように指示を出せるが、細かい部分を蔑ろにする人にはいくら言葉で注意しても修正するのが難しい 、とも頻繁に言われています。よく指摘される「 細部に神が宿る 」とは正にこのことです。 これからも「 確認 」を怠らずに仕事の量と質の向上を意識して働ければと思います。

現代は「選択肢が少ない」方が幸せかも知れない-「選べないなら、選ばない」-

ツイート 「選ぼうとするから選べない」むしろ「敢えて"選ばない"」というシンプルな考え方。 過度な主体性ではなく,流れに(意識して)身を任せる受動性。(過去のツイート) 膨大な選択肢から無理して何かを選ぼうとするときつくなる。選べないなら、選ばない。取りあえず限られた選択肢の中で選ぶ。"良い"選択肢は少なくなったかも知れないけど、選ぶ際の負担は軽くなった。これからは選択肢を「選ぶこと」から「捨てること」という考えにシフトしていきます。(過去のツイート) 私たちは,人生の中でことある度に 「選択すること」 を否応なしに迫られています。 何を食べるのか , 何を飲むか , どの学校に進学するのか , どこに就職するのか , 誰と結婚するのか , 老後はどこで過ごすのか ,など多くの選択が私たちの人生を決定づけると云っても過言ではありません。 また,選択肢の多さや比較的自由に選択できる権利は,多くの場合 「経済的環境」 と関連があると思います。その意味で,先進国の日本は比較的多くの選択ができるという意味では,非常に恵まれた環境です。 インド のような カースト制度 はなく,海外からの信頼の証であるパスポートを持ち 海外旅行 にも自由に行くことが出来る,また 学歴社会 といえども就職先も基本的には 自由意思 で選ぶことが出来る,私たちは数え切れないほどの 選択肢 と 選択の自由 を抱えて暮らしています。さらに,昨今の ソーシャルメディア の普及により 膨大な情報 とそれに伴う形で (本来,知るはずのない)選択肢 が可視化されるようになりました。それが,結果的に 「 隣の芝は青く見える 」 ことになるのです。 ところで皆さんは, 数多くの選択肢があることを幸せだと感じますか 。もちろん,選択できないよりは出来た方がいいに決まっていますが,果たして本当に幸せなのだろうかというのが,ここ最近私が考えていることです。 過剰な選択肢 は時として, 大きな迷いを生み決断を遅らせる原因 となっているのではないでしょうか。 日本でも非常に売れている 『選択の科学』 の著者でコロンビア大学の シーナ・アイエンガー教授 のTEDスピーチ 「いかに簡単に選択をするのか」 が,私が考えていることを分かりやすく