(朝5時に起きて見に行ったダナンの海)
この文章をまとめながら泣いている自分がいる。
なぜだろうか。たった1週間だったのに,それ以上に
密度の濃い時間を仲間とともに過ごすことが出来た
からだろう。普段僕はめったに泣かない。卒業式で
1度も泣いたこともない僕が,現地の学生と別れる際に号泣していた。
それだけ僕にとってこのチェンジメーカーINベトナムは大きなものだった
のかもしれない。誰よりも別れるのが寂しくて泣いていた。
今回,この旅で学んだこと・感じたことを2回に分けて綴ってゆく。
Change Maker in Vietnam Part 1 では,訪問した企業やベトナムで働く
日本人から学んだことに対して自分なりの解釈を付け加えたいと思う。
Change Maker in Vietnam Part 2では,Part1の続きとフエの街でフエの学生
と共に学んだこと,そして自分が今後本物のChange Maker になるために
必要なことをまとめる。最後に仲間への想いを綴ろうと思う。
特に,ベトナムに行く前の自分と帰国後の自分にどのような変化が
起きたのかを意識しながらブログにまとめていきたいと思う。
まずこの旅に参加した目的を1週間前に遡って綴ってみようと思う。
・日本の「常識」をベトナムの「常識」と比較するため 例:時間感覚
・日本を外から客観的に捉え,日本の良さを再確認するため
・GDP経済成長率の伸び率の要因は何であるのかを,
実際に自分の目で見て体感し皆に伝えるようにするため
・日本人が海外で働くことが本当にできるのか,その可能性を把握するため
・ニュースでは分からない,本当のベトナムの姿を知るため
以上5つの目的からこの旅は始まった。しかし,1週間後には当初の目的
以上の”何か”を得ることが出来た。これからこの旅を1日目から少しずつ
振り返っていきたいと思う。読者の皆さんには,僕が体験したことを疑似体験
するつもりで読み進んでもらいたいと思う。この旅では楽しいことが多かった一方で,
日本の厳しい現状・課題を否応なしに突きつけられることとなった。このことから目を
背けないでほしい。逃げないでほしい。己と格闘することが,世界あるいは日本を良く
ために必要なのだから。
以下で,体験した内容をメモする。途中で,自分の考えたことを付け加えて
行く。そのことが,自分の中で「変化」したことだと思っている。
午前12時過ぎに日本人学生6人が無人のダナン空港に到着
フエ外国大学日本語学科の学生6人(女子),今回の旅をガイド
して頂いた唐津さん,川村さんと合流
翌日にHRIオフィスで現地学生と共に自己紹介
日本に留学経験のあるベトナム人ガイドのイエンさんとも合流
☆自分のベトナムに対するイメージ
・バイクが多い
・料理が美味しい
・経済成長が著しい
・みんな幸せそう
・ベトナム戦争
☆フエ外国大学の学生の日本に対するイメージ
・とてもキレイな国
・技術経済発展
・日本人は忙しそう
・着物がいい
・日本の電車は素晴らしい
・漫画が大好き(例:ドラえもん,名探偵コナン)
⇒彼女らは,日本語を学んでいるため日本について様々なことを知っていた。
特に,日本の技術・経済発展について言及する学生が多かった。
日本人学生は,あまりベトナムに対して具体的なイメージを持っている
訳ではなかったものの,ベトナム戦争の印象は強いようだった。しかし,現地の
学生はあまりベトナム戦争について反応しなかった。それは,戦争が自分
たちの世代で起きたことではないからだろう。その点では,日本の若者とあまり
変わらない。戦争の記憶は薄らいでいくのだろうか。
<初日・訪問企業>
■VBPO(ベトナム・ビジネス・プロセス・アウトソーシング)
日系企業からの経理・給与計算の委託業務の請負
約30名程度のベトナム人社員が一斉にパソコン画面に向かって
日本語を打ち続ける。壁には,タイプミスを防ぐために振り仮名つきの読みの難しい漢字が
書かれた紙が貼られていた。あの光景は,今でも忘れらないくらい衝撃的だった。
正直茫然として言葉が出なかった。これが今世界で起きていることなんだと。
⇒とにかく人件費が安い(PCスキルと日本語ができる社員)
今まで,日本人がしていた仕事をベトナム人に
取られてしまった。(仕事のレベルは高い)
◎日本人は単純作業以外の仕事をやる必要がある。
(単純作業=誰でも出来る仕事は替えが効く⇒人件費が安い方にシフト)
・日本市場を獲得することが最大の目的
なぜ英語ではないのか?
⇒すでにインド・フィリピンがいるから。
日本へのBPO営業をする
従業員45名,1週間45時間労働(日~月)
毎日1時間のタイプトレーニング
人件費は,月100ドル(約8000円)
◎日本人は”価値のある仕事”をしないと本当に
仕事の大半を海外に奪われてしまうことになる。
(機械ではできないこと,語学力(英語・中国語),専門性)
彼らにとって日本語が業務に直結する現実。生きるために学習する。出来なければ,雇われない。日本語をやる理由は,生きるためだ。
■さくらフレンズカフェ
竹内さん
孤児院の支援,日本人の集まれるカフェ
ろう学生の自立支援
ベトナムは30年前の日本に似ている
日本人は準備する,ベトナムは準備しない
日本は技術力の良さがある一方で,
収益化する(マネタイズ)するのが
極めて下手である。
⇒日本製品はバイクのホンダ,ヤマハがほとんどであった。
テレビなどの電化製品はサムスン,LGが大半を占めている。
携帯電話はノキア,サムスン,LGがメインであった。
日本製品は品質はいいが,値段が高いため購入されない。
ベトナム人は生活(家族)を大切にする
”生活”がブレない=人生
⇒地震が起きた翌日から「家族は大丈夫なのか?」
この質問を様々な人から受けた。彼らにとって
「家族」は特別な存在であると感じた瞬間だった。
仕事の好き嫌いではなく,自立して働くために学ぶ。
分からなくても汗水たらして働く。その中で
考える。大事なのは,自分の力で食べること。
■ドンズー日本人学校
日本語教育の学校
日本語教育する方法
⇒単語カード,音読(論理は適確)
日本のことは,世界であまり知られていない
中国語を学ぶ必要性(利用者が多い)
(時間投資の割合と優先度を変える)
基本的な日本語の単語を暗記して使えるようにする
自分をコントロールする大事さ
⇒学びにどん欲な学生が真剣に授業を受けていた。
かつて,勤勉と言われていた日本人は現在どうだろうか。
彼らは,生きるための手段を得るために学んでいる。
危機感を持つことで,学習意欲も向上することになる。
彼らが日本語を学べば学ぶほど,日本人の仕事は
奪われていくだろう。それだけ彼らは厳しい世界で生きている。
■某日系メーカー*名前は伏せます
人件費の安さを背景に日系企業が
中国に進出することになった。
しかし,中国の経済成長と共に
人件費が上昇。日本企業 4社に1社
日本の場合,内陸のため物流コストが高い
第1候補*ベトナム
ベトナムも人件費が上昇してしまうと,
また別の人件費が安い国にシフトしてしまい
雇用が失われる,工場で単純作業をしているため
専門性が身につかない。仕事に応用が効かない。
⇒彼らには”保障”なんていうものはないのだろう。
これが現在の新興国の現状である。成長には,
常に「光と影」が存在する。
日本から”ものづくり”は消える
韓国企業にあって,日本企業に無いものは圧倒的なスピード感
海外に出る理由=生きるため,出ざるを得ない
日本では働けないと覚悟した方がいい
(英語,中国語を徹底的に習得)
■某日系メーカー*名前は伏せます
300名のベトナム人が工場で働いている
投資環境
ベトナム*ハイパーインフレ,高賃金工場を指揮する日本人社員の言葉
日本人は国・企業に守られている
海外で働くことは,基本的に守られない状況。
日本の大企業に入ることも,ある意味では「甘え」
何も分からに状況で生きていく。
そこで生きていくしかないor思い切って海外に出る
米国*自分のやり方を曲げない
日本*相手国に溶け込む(無理が生じる)
次は,ミャンマー・バングラデシュを模索
人件費は常に安い方向にシフトする。
工場で働く人々はどうなってしまうのだろうか。
生きていくのに必死,日本にいる方がヤバイかもしれない
資産運用(年金・保険)を自分でできる自信があるなら海外に行けばいい
日本教育=信用(信頼)を生む教育
時間・約束を守る 納期=信用
日本の時間感覚を再認識。
◎お金を貯めて資産運用する
基本的に自分の力で状況を打開する必要性がある。
海外で働くことは,今まで自分が思っていた以上に厳しい
ことであると感じた。覚悟が無いなら,日本にいた方がいい。
それだけ,世界は厳しいのだ。
■ベトニャット幼稚園
かつて日本の幼稚園で働いた経験がある
ベトナム人女性と同僚の日本人女性
日本教育の素晴らしさ
ベトナム教育の問題点
日本人~叱る(理由づけ),素直に言える,想像力
ベトナム人~甘やかす(ごまかす),運動させない,親の問題
◎日本式教育を輸出できる可能性
日本式人材教育,マネジメント,教育の大切さ
◎日本はハード(製造業)ではなく,ソフト(教育プログラム)
を重視すべきである。
⇒教育の難しさを実感した。子供ではなく親に問題がある。
日本式の教育は,ベトナムの親子に好評だとのこと。
子供たちも日本語の曲に合わせて元気に踊っていた。
⇒日本がこれから重視すべきは,世界で応用できる人材教育法,
組織マネジメント,教育プログラムなどのソフト面であると考えた。
このようなソフト面を海外で戦略的に売っていくことがカギとなる。
例えば,地震防災対策プログラムのノウハウを海外に輸出する
こともできるだろう。そして正直に言えば,製造業に未来はないだろう。
生き残る唯一の鍵は,世界と本気で闘う意思があるかどうかだ。
Part1では,体験した内容に自分の意見を付け加えた形になった。
少々厳しい内容を書いたが,これが世界の現実なのである。
日本のように”守られている”感覚はほとんどない。その一方で,
ベトナムも成長途中の国だからこそ問題が山積している。
その中で,「日本」というものが求められていることを知れたのは非常に
大きい経験だった。世界では日本のノウハウを必要としている国が
あるのかもしれない。
明日以降では,その後訪問した企業や日本人,フエの街でフエの
学生とともに協力して取り組んだワーク,そこで得たものを綴る予定である。
そして,今後本物のChaneMakerになるために必要なことをまとめてみる。
最後にフエの学生,唐津さん,川村さんへの感謝の想いを伝えることとする。
なぜなら,別れ際に号泣してきちんと挨拶できなかったからであるー笑
3月18日 自宅より
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