(世界遺産であるホイアンの街並み)
Change Maker in Vietnam Part 2 では,Part 1 の続きとフエの街でフエの学生と
と共に協力して取り組んだワーク,そのワークで感じたこと,今後本物のChange Makerに
なるために必要なこと,出発前と帰国後の変化,そして最後にフエの学生達,川村さん,
唐津さん,イェンさんへの感謝の想いを綴ろうと思う。
■侍食堂 (ホイアン唯一の日本食屋),
宮川玄太さん,臼田玲子さん(U-CAFE建設中)
宮川さん
いきなり仕事をやめてホイアンに来た来た理由はTVでホイアン特集を見たから
(日本での仕事に少し疑問を抱いていた),料理経験はほとんどない状態。
先に動いて,後で考える。
ベトナムに来た以上は,自分の力で何とかしないといけない。
*ベトナム人(学生含む)における仕事の見つけ方
人づて(親戚,知り合い)を頼って仕事を見つける
日本のようにリクナビ,マイナビのようなサイトは
存在しない。なので仕事を見つけるのにも一苦労。
⇒日本は情報過多,ベトナムは情報不足
「Made in Japan」(日本製,日本人) というブランド
会社員経験の必要性(経営の管理に役立つ)
動機が単純なほど物事は長続きする傾向にある
臼田さん
職業訓練を目的としたカフェを建設中。ベトナムの恵まれない人たちのために
日本で捨てられていた放置自転車をベトナムに運ぶためのプロジェクトを実施。
川崎市議会との協議の上,連携を図ることが出来た。1回650台(半年ごと),輸送費35万
臼田さんが今のベトナムについて不安を感じていること
ITによる文化の破壊(*ベトナムではWifiがかなり普及しているため,どこでもネットが使える)
95年・日本でインターネットが普及した頃によく似ている。PCの利用によって大事な時間が奪われてしまう。目の前にある本当に大事なことが見えなくなってしまう。
カフェでは,ベトナム人に職業訓練の支援と日本の実学(接客・料理・語学・ホスピタリティ)を
教育する。日本の実学の重要性を指摘。
*ベトナム特有の文化
ベトナムでは,食事中に出たゴミをテーブルの下に落とす習慣がある。これはなぜだろうか?
日本人の感覚からすれば「食事中に出たゴミは自分でゴミ箱に捨てるか,テーブル中央に
まとめておく」だろう。ベトナムでは,そのゴミを「掃除する仕事(人)」があるからだ。つまり,
「ゴミを拾うこと」が1つの仕事として成立してしまっている。従って,食事をした人が自分で
ゴミを片付けてしまうと,彼らの「仕事(雇用)」を奪うことになってしまうのだ。臼田さんは,
そのベトナムの文化の問題点を指摘し,「ゴミを拾う仕事」ではなくもっと別の仕事をできる
ように教育すべきであるとお考えになっていた。
今のベトナムは,バブル状態で経済は右肩上がりで成長していので不安になる暇すらない。
ベトナムの良い点は,人と人の関係が見える。困っている人がいればすぐに助けてくれる。
そして,コミュニティが元々小さいため周りの人たちのことを良く知っている。子供は親の仕事
を正確に理解しているし,近所の人たちの家族構成なども把握している。
⇒日本の強みを感じると共に,「雇用」という事を深く考える契機となった。「雇用」を意図的に
生むことが果たして正しいのだろうか。もっと素晴らしい仕事はあるのではないだろうか。
■YALY(オーダーメイドの服飾店)
(風呂敷をエコバッグにするワーク)
比留川 由希さん
YALYはホイアンで400店舗を構えるオーダーメイドのお店
力を入れていることは,製品の品質と人材教育。
面白い人生にしたい!と思い挑戦の28歳でホイアンに来た。
彼女に求められていることは,日本人のお客をどうやって呼び込み
宣伝し接客するのかということ。難しいミッションが課せられている。
日本人市場を開拓するために日本人でコンサルティングできる
人材が必要である。「必要とされる」ことの嬉しさ。
その国で自分にしか出来ないことをやる。それが,あなたの価値になる。
*彼女は”ホイアン娘”というグループを結成しホイアンを盛り上げようとしている。
この動画を見て元気になりましょう^^
■ENNAホテル
日本時女性とベトナム人男性が結婚して2010年に建てられたミニホテル。
日本人客に限らず多国籍なお客さんが集まるアットホームな空間が長期滞在
するお客さんに評判。
ベトナムでホテル経営
<アドバイス>
投資すること
これから経済成長をする可能性が高い国へお金を投資する
ちょっとずつ利益を出していく。生活までも海外にシフトする。
海外で働き,そこに暮らす。
<ベトナムから見た日本>
外から日本を見ると心配である
日本は先が見えない,ベトナムは先が見える
若者が活発化する必要がある。海外に出た若者が日本に戻ることが
その国のためになる。口だけではなく,外で実際に働く。
”夢を創ることのできる国に行く”
”今の日本は残念ながら夢を作れる国では無い”
*この発言は今回の地震とは無関係なのでご理解頂きたい。
ベトナムの労働時間9h~10h 土曜日も働く。
日本の場合アルバイトにしてもお金になる。アルバイト=ビジネスの素養が身に就く。
ビジネスを学ぶ。チャンス・不便である中で,様々な仕事をしてみる。
世界を幅広く見る必要がある。アルバイト(短期バイト含め)を
多くしてみる=ビジネス視点,経験を得るために。
自分の力で飯を食っていけること。3年間は1つの仕事に集中する。
新卒にこだわる必要は無い。世界で闘うのも大いに結構である。
無駄なお金を使わないで努力をすること。コンビニを利用する機会を減らし,自分で
作る(水筒・弁当)努力。無駄なお金を使わずに節約することが,海外の厳しい生活に
耐えるための1つのトレーニング。お金を使うことが出来ない状況で自分の力を鍛える
必要がある。
■MIKIホテル
2010年にオープンしたばかりの新しいホテル。ベトナム人のオーナーと,日本人の
奥さん(ミキさん)によって経営されている。ホテル経営の他にも「日本語教室」や
「孤児院の支援」なども行っている。今回のフエ滞在の拠点となる場所である。
孤児院の支援,元々は日本で建築士をやっていたものベトナムで
ボランティアをすることを決意し,ベトナムに来た。
ストリートチルドレンの実態について心を痛める日々。
子供たちを助けたいと思い来たものの,逆に子供たちに励まされた
フエの場合,日本語学習者の供給が多いが供給過多が否めない状況。
つまり,就職先がない。これがベトナムの実情である。
⇒MIKIホテルのベトナム人スタッフはミキさんの指導の下,日本式の接客マナーや日本語を
学習しているため,僕たちはとても快適に泊まることが出来た。
ぜひフエに行く際には,MIKIホテルのご利用を勧めたいと思う。
■夜の振り返り(飲み会)
(夜の飲み会!午前2時半まで続いた)
日本というブランドを再認識
「日本人は日本だけで生きているという感覚」
「自分たちの中だけで全てが完結してしまっている」
単なる”日本人”でしかない(守られているという感覚)
日本人としてもっとやらなくてはいけないことがある。
<仕事=”握手”という考え方>
①自分から手を出す(自己アピール,能力を示す,需要があるかは不明)
②世の中(社会)が手を出す(社会的需要がある,好き嫌いは別,手を握り返すのか)
企業が今,”どういった手を出しているのか”(どのような人材・能力を求めているのか)を
冷静に見極める。自分ばかりから手を差し出しても,手を握り返してもらえない。
”世界には色んな手がある”その手を見つけて握るのは全て自分次第である。
<海外で自分の価値を見出す方法>
ある国の第3の都市を狙う(日本人がいない場所を選ぶ)
そこに仕事がないなら,自分で創るしかない。
日本式のプログラムを輸出する。
日本=課題先進国(問題解決法を提示する必要性)
*海外における日本語のコールセンター業務
⇒自分に失礼のない生き方をする必要がある。今を大事にする。
日本人が出来ることって何だろう。
”たくましく生きる必要がある”些細なことで落ち込んでいても仕方がない。
*夜中に川村さん,唐津さんが仰っていた内容をまとめてみた。
お二人のたくましさに感激するとともに,苦労話をお聞きすることも出来た。
唐津さんの「ここまで来たら もう「意地」しかない」というお話には相当な覚悟があったの
だと感じた。(お二人のブログは最後に掲載する予定)
■フエ外国語大学
(自然に囲まれた雄大なキャンパス)
フエにある総合大学の1つ。全部で8つの学科があり,5年前に日本語言語文化学科が
創設された。数ある学科のうち,日本語は英語に次ぐ2番目の人気となっている。
日本語を学ぶ学生50人(1クラス)男性は3人
日本語力はかなり高い(会話を重視する授業)
ハングリー精神=単語をメモを常に持っている。
分からない時は,素直に聞いてくる。恥ずかしがらずに一生懸命やる。
日本語を学ぶ理由は,日本の漫画と文化が好きだから。また,日本語が出来る
否かが自分たちの仕事・人生に影響してくるから(後者は僕の思うこと)
日本人とは,必死さが違う。生きるために学ぶ。
楽しそうに学ぶ姿,これが本来の教育。
⇒授業に参加させて頂いたが,驚くほど日本語が上手であった。みんな上手に
なりたいと強く思っているからこそ学習意欲が高いのだろう。一番印象的だったのは,
僕が担当していた班の中から音読を発表する二人組を選ぶ際に,みんな恥ずかしがって
誰も自分からやりたいとは言わなかった。(日本とあまり変わらない光景だった)
しかし,僕がある女子2人組に「上手に日本語を話すためには発表はとてもいい機会だよ。
上手じゃなくてもいいからみんなの前で発表してみよう」と諭したら,彼女らは素直に受け入れ
てくれてその後素晴らしい発表を披露してくれた。きっと彼女らは恥ずかしいだけだったんだね。
それでも勇気を振り絞って発表してくれた。物凄く僕は嬉しかった。
■フエの街を紹介するワーク
(みんなでフエの街を紹介するMAPを作成!)
フエの街はとてもいい街だが,ホーチミンとハノイの中間にあるため旅行客に素通りされてしまう。
また,フエを紹介するガイドマップもあまりないため日本人が来た時も楽しむが難しいのが現状。
そこで僕たちと現地の学生が協力してフエの街を紹介するためにフィールドワークを行い,調べた
店舗や商品を紹介するためのMAPとチラシを作製した。
ワークをする中で感じたことを綴ってみる
日本人同士でワークをするのにも苦労な中,ベトナム人学生とワークすることは
非常に難しがったが,ワークの目的を共有するために噛み砕いた日本語で説明した
ところ僕たちの想いを正確に理解してくれた。
彼女らは,ワークを自分たちのペース(ゆっくり)でやりながらも絶対に手を抜かない
まるで”職人”みたいだった。逆に,日本人学生は時間を重視しつつ一定のラインで
終わらせることを望んでいた。両者の「時間感覚」の違いはとても勉強になった。
国籍の異なる者同士が仕事をすることの,難しさと楽しさを知ることが出来た。
言葉だけでなく,相手の目をみて”想い”を伝えようとすると彼女らは自然と
僕らの事を理解してくれた。これこそが本当の”異文化交流”であると実感した。
(最後に丸2日かけて作成したMAPをミキさんにプレゼント)
最後にみんなでチラシを周辺の店舗に置いてもらうために,飛び込み営業を行った。
しかし,雨が降っておりしかも時間があまりなかったため多くの学生が近くのスーパーで
買い物をしていたー笑(*唐津さん,川村さんごめんなさい!!)
(今回,僕たちに協力してくれたフエ外国語大学の学生!
*下にいる男性は,日本人ですー笑)
(前日の夜に最後の打ち上げを行う!学生から素晴らしい
プレゼントをもらった!ありがとう!)
(最後の別れ。学生1人ずつから挨拶。この時のことを
あまり憶えてない。なぜなら,すでに泣いていたからだ。)
別れの朝。最後に彼女たちから日本人学生と1週間を過ごしての感想を
語ってくれた。
その中でも,印象的な言葉があったので紹介したいと思う。
日本人の学生と”友達”になれて本当に嬉しかったです。私たちは,お金があまりないので
日本に行きたくても行けないです。でも,日本の”友達”がわざわざベトナムに来てくれたおかげ
日本の事を知ることが出来ました。ありがとうございました。
ベトナムはまだ若い国だからこそ,私たちに依存しています。だから,私たちは
まだこの国でやらなくてはいけないことがたくさんあります。
最後にフエの学生,ガイドのイェンさん,川村さん,唐津さんへの感謝の想いを
綴りたいと思う。そして,本当のChange Makerになるための決意を記したい。
<フエ外国語大学の”友達”へ>
みんなのおかげで楽しい1週間を過ごすことが出来ました。本当にありがとう。
初めてダナンの空港で会った時の,明るい歓迎は本当に嬉しかったよ。
一生懸命日本語を勉強している姿をみて,僕はとても刺激を受けました。
みんなと大声で笑いながら過ごしたあの時を今でも忘れることが出来ません。
日本の地震について常に心配してくれて,僕たちに明るく接してくれました。
みんなは,僕にとって”最高の友達”です。必ず,もう一度ベトナム・フエに行きます。そして
またみんなと再会したいと思います。本当にありがとう。
<ガイドのイェンさんへ>
この旅はイェンさんがいなければ,上手くいかなかったと思います。
僕たちの日本語をベトナム語で現地の学生に伝え,現地の学生の言葉を
日本語に訳して僕たちに伝えてくれました。”言葉の共有”をすることが出来たのは
イェンさんのおかげです。本当にありがとうございました。ベトナムで過ごす上での,
様々なアドバイスのおかげで僕たちは楽しく時を過ごすことが出来ました。
また,ベトナムでお会いしたいですね^^本当に感謝しています。ありがとうございました。
<川村さん,唐津さんへ>
本当にお2人には感謝しております。この旅では「海外で働く可能性を摸索する」ことを
意識して時を過ごす中で,お二人の姿を拝見して可能性を見出すとともに,厳しさ,覚悟の
必要性を感じました。ベトナムは本当に素晴らしい所で本当に楽しかったです。
この旅に行くきっかけは「お二人がベトナムで働く姿を実際に見たかったからなんです。」
(恥ずかしくて直接言えませんでしたー笑)また,必ずベトナムを訪れたいと思います。
今度は,一社会人(ビジネスマン)としてお二人とベトナムでお仕事ができることを心から
願っています。そのために努力します。本当にありがとうございました。
<最後に>
「具体的な何か」が変わった訳じゃないと思う。しかし,今まで日本で暮らす中で忘れていた
「大事なこと」を思い出させてくれる旅だった。勉強の大切さ,生活の大切さ,世界の厳しさ,
どれも日本だけでは得ることが出来なかったことだと思う。「潜在的な意識」が変わったのだろう。
Change Maker になるために大事なことを考えてみた。「小さな変化を自分の中で起こし続け,
それを行動に移すこと」これが必要だと思った。
この1週間の旅は,忘れることのできない日々になるだろう。
辛いことや,苦しいことがあってもベトナムで”友達”と過ごした
日々を思い出すことで乗り越えたい。
これで旅は本当に終わってしまう。ただ,これからの新しい「旅」にむけて
歩みを続けたい。
ありがとう。
ベトナム。
またね。
完
3月19日 自宅より
*日本のために祈る”友達”に感謝の想いをこめて
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