スキップしてメイン コンテンツに移動

Power To The People #One_voice #学生100人ブログ



私たちは日本(の政治)を変えることができるだろうか?


この問いに対してあなたは何と答えるだろうか。恐らく「変えることはできる」あるいは「変えることはできない」と答えるだろう。しかし,今の日本をこのような「できるか否か」という軸で判断するほどの余裕は残念ながら既にこの国にはない。


国の財政赤字額は「約1,000兆円」に達しており,また人口減少に歯止めをかけることができず,この状況(人口減少社会)が続くと2050年には総人口が「1億人」を割り込むと予測されている。既に日本の戦後から長い間続いてきた諸制度の多くが破綻寸前である。


その中で,「政治」は今までどんな役割を果たしてきたのだろうか。日常生活の中でテレビや雑誌などのマスメディアで報じられる政治や政治家の情報に触れて私たちは何を思うのだろうか。多くの日本人が政治や政治家に対して不満や疑念を湧いており,希望を失っていると思う。大変残念ながらこれが現実である。


しかし,多くの日本国民が不満や疑念を抱いている政治家を選んだのは「一体誰なのか」をもう一度考えて欲しい。紛れもない「私たち」自身である。また。全ての責任を政治や政治家に押し付けていても何も変わらないことに実は多くの国民が気づき始めた。変えなきゃマズイという「空気」が漂っている。では,何で変えるのか。その最適な手段として今の時代において最大の武器である「インターネット(ソーシャルメディア」があるのだと私は思う。





1971年に発表された「Power To The People」においてジョン・レノンは「」で世界を変えようとした。実際に世界が変わったどうかは分からない。でも,世界中の人々が動き始めた,また変わろうとしたことは事実である。


それでは,私たちはジョン・レノンのように「歌」で世界を変えるのだろうか。それは現実的ではない。でも,「インターネット」で変えることはおとぎ話でも空想の物語でもない。間違いなく現実的に可能であると確信している。「インターネットで日本の(政治)を変えることができるか」ではなく,「インターネットで日本の(政治)を変える」つまり,「できるか否か」ではなく「やるか否か」という軸で行動しようじゃないか。


私はインターネット選挙解禁運動に「賛成」を表明します。



ONE VOICE CAMPAIGN
http://onevoice-campaign.jp/about.php

コメント

このブログの人気の投稿

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道, ふと 「 あること 」に気が付きTwitterでツイートをしました。 男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに 「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合, そこに「萌え」 という感情は湧かない。ある意味で,「着物」 や「浴衣」と同じな のかもしれない。 #ひとりごと 皆さんからすれば,「 君はなんてことを考えているのだ! 」 とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ 4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより, リクルート スーツを着た就職活動生が忙しそう に している姿を駅や学校な どで頻繁に見かけるよう なりました。 リクルートスーツに関しては,以前から「 学生の個性を消して いる 」や「 皆が同じ格好をしていて気味が悪い 」などのような 意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状 です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。) 高島屋がスーツ禁止の入社式 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と して認知されているのが現状です。 しかしそんな中, 世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク ルート スーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「 カワイイ 」あ るいは 「 萌え 」という感情を抱いている場合が多いです。 反対に, 世の女子の多く (正確な数値は不明)は,リクル ート スーツを着 た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という 印象 を抱く場合が 多いようです。(あくまでも,個人の主観です) では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。 「 なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか? 」 (皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い ます が, 一般的な傾向として理解して頂けると助かります。) 正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「 非日常 」 を見い出すことが可能だからだと思います。

[仕事]大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に

仕事は “大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に” やりなさい 入社以来、直属の上司から繰り返し何度も言われている言葉です。要するに「 ミスを恐れて萎縮しないようにしながら、何事にも決して慢心かつ油断せずに仕事に取り組む ことが大事である 」ということを私に伝えたかったのだと思います。 細かい部分にも目を配れる人は、言葉次第でミスを恐れず大胆に行くように指示を出せるが、細かい部分を蔑ろにする人にはいくら言葉で注意しても修正するのが難しい 、とも頻繁に言われています。よく指摘される「 細部に神が宿る 」とは正にこのことです。 これからも「 確認 」を怠らずに仕事の量と質の向上を意識して働ければと思います。

現代は「選択肢が少ない」方が幸せかも知れない-「選べないなら、選ばない」-

ツイート 「選ぼうとするから選べない」むしろ「敢えて"選ばない"」というシンプルな考え方。 過度な主体性ではなく,流れに(意識して)身を任せる受動性。(過去のツイート) 膨大な選択肢から無理して何かを選ぼうとするときつくなる。選べないなら、選ばない。取りあえず限られた選択肢の中で選ぶ。"良い"選択肢は少なくなったかも知れないけど、選ぶ際の負担は軽くなった。これからは選択肢を「選ぶこと」から「捨てること」という考えにシフトしていきます。(過去のツイート) 私たちは,人生の中でことある度に 「選択すること」 を否応なしに迫られています。 何を食べるのか , 何を飲むか , どの学校に進学するのか , どこに就職するのか , 誰と結婚するのか , 老後はどこで過ごすのか ,など多くの選択が私たちの人生を決定づけると云っても過言ではありません。 また,選択肢の多さや比較的自由に選択できる権利は,多くの場合 「経済的環境」 と関連があると思います。その意味で,先進国の日本は比較的多くの選択ができるという意味では,非常に恵まれた環境です。 インド のような カースト制度 はなく,海外からの信頼の証であるパスポートを持ち 海外旅行 にも自由に行くことが出来る,また 学歴社会 といえども就職先も基本的には 自由意思 で選ぶことが出来る,私たちは数え切れないほどの 選択肢 と 選択の自由 を抱えて暮らしています。さらに,昨今の ソーシャルメディア の普及により 膨大な情報 とそれに伴う形で (本来,知るはずのない)選択肢 が可視化されるようになりました。それが,結果的に 「 隣の芝は青く見える 」 ことになるのです。 ところで皆さんは, 数多くの選択肢があることを幸せだと感じますか 。もちろん,選択できないよりは出来た方がいいに決まっていますが,果たして本当に幸せなのだろうかというのが,ここ最近私が考えていることです。 過剰な選択肢 は時として, 大きな迷いを生み決断を遅らせる原因 となっているのではないでしょうか。 日本でも非常に売れている 『選択の科学』 の著者でコロンビア大学の シーナ・アイエンガー教授 のTEDスピーチ 「いかに簡単に選択をするのか」 が,私が考えていることを分かりやすく