ここ最近になり「英語」を使わないと仕事にならないケースが増えてきた。香港出張、シンガポール出張、ビールテイスティングイベント等。私は自慢できるようなTOEICスコアも持っていなければ、特別な英語勉強法を知っている訳でも無い、フィリピンに留学していたとはいえ、たったの3ヶ月程度。それでも、英語を使わざるを得ない仕事が増えている。
※BEER TASTING イベントの様子。全て英語。
日本は「英語が話せる(しかも、本当に僅かでも)」ということのプレミアム感が「未だに」高い。本当はこの状況は憂うべきだと思っている。フィリピン、香港、シンガポールなどに行って感じたのは「英語が出来ることそれ自体に、特別な価値が有る訳ではない」ということ。別に誰か褒めてくれる訳でも無く、淡々と「当たり前」という感じ。日本人だろうがお構いなし。できなければ、コミュニケーションが図れず静かに時間が過ぎる。
昨夜にも書いたが「語学ができなくても専門性があれば問題なし」という記事を読んだ時に強く感じたのは「下手すると語学が出来ないために専門性を発揮する場を掴み損ねる可能性も有る訳で、語学をやらない事の言い訳にならない」ということ。別にやる必要の無い人は、有限の人生だから他の事に時間を配分した方が効率が良い。でも、やっぱりできたことに越した事はない。
でも英語に限らず語学の問題点は「底なしに時間を投下する事ができる」ということ。資格試験であれば「点数」という形で「底」が見えるので取り組みやすいが「日常会話」という極めて曖昧な部分に一度突っ込みだすと、延々と時間を割かざるを得ない。これが小学生〜大学生なら分かるが、社会人でそんな悠長にしていられる人はいないはず。ここでやるべき事は割り切って「仕事に特化した英語(語学)」に注力すること。
例えば、クラフトビールであればそれに関連した単語や表現技法があり、それを意識的に覚えて頭の中でパターン化して何度も反復して使い回す。他の業界・業種でも同じで、それぞれ固有の表現や専門用語があるから、そこだけに集中すれば良い。よく「日常会話レベル」という言葉が安易に使われているが、ハッキリ云って語学において日常会話が最も難しいと私は考えてる、なぜなら「前後の脈絡」が必ず必要だから。仕事であればお互いに「共通の認識」があるから、全てを掴めなくても「何となく」で意味が掴めることがある。
つまり「一定の制限」を設けるだけで、学習効率は数段高くなる。英語に限らず語学を学ぶ際に必要なことは、特定の分野に絞ってひたすら続けること、完璧さを早い段階で捨てることの2点だけ。とりとめもなく、ダラダラと書いてしまったが、同世代として本当に10代〜20代は、今のうちに英語なり他言語をある程度身につけて「脱出」する準備を着々としておいた方が良いかなと。有る意味で「パスポート」みたいなものだから。このデータだけでも、この先に待っている未来は分かるはず。若い世代は「使える武器」を沢山持ちつつ、絶えず磨き続けること。
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