この休日に「インターネット的」を改めて読んで、自分がブログを書き続けている理由が少し分かった気がします。ということで今回は「なぜブログを書くのか?」について考えてみようと思います。
■熟していない思いが結晶化されていく
考えたこと、やってみたいことを惜しみなく出し続ける。枯渇するのではないかとか、後でもっといい使い道があるとかを考えずに、出して出して出し尽くし枯れたらそれでしかたがない、というくらいの気持ちがないと、日刊で曲がりなりにも「新聞」をだすことなどできません。おそろしいけれど、なかなか楽しいことでもありました。(P.50より引用)
特に「考えたこと、やってみたいことを惜しみなく出し続ける」という点は共感できます。性格的に飽きっぽくほとんど続かないような僕が、曲がりなりにも3年間で約160本のブログ記事を更新できたのはこの感覚があったらからだと思います。結局、頭の中で考えたことを(無理やりにでも)言語化して外に出さないと、誰にも「伝わらない」まま熱が冷めて記憶から過ぎ去ってしまうのです。
アイデアやヒントがまだ幼いうちに、他者に向けて何とか出してみる。そしてたくさんの相手が、「未完成だけれどポテンシャルを感じる」と言ってくれたらしめたものです。自分ひとりじゃできないことでも、その受け手の力に手助けをされて、素晴らしい現実を生み出させるかもしれないのですから。(P.51〜P.52より引用)
ブログを書く中で嬉しいことは「ブログを通じて思いもしなかった偶然が起こること」です。例えば、この記事で以前からお会いしたいと思っていた跡部徹さんのブログを紹介させて頂いたところ、後日にご本人から連絡がきて六本木のカフェでお話しすることができました。実は、その記事を跡部さんにお知らせしてくれたのはカジケンブログで有名なカジケンさんだったのです。そのカジケンさんとはつい先日初めてお会いすることができました。こういう偶然が有るからブログは止められないのです。
■未熟な文章をそのままオープンにできる
インターネットが登場する以前は、先ず自分の考えを表現するメディアが一部に限られていました。新聞、書籍、雑誌などの専門的かつ公共性の高い空間にあり、いわゆる「アマチュア」が出る幕はありませんでした。そこでは、多くの人に正しい情報を伝えることが重要であり、文章は何度もチェックされます。だからこそ、誰にでも分かりやすく伝わるのです。
しかし、インターネットが登場したことで文章を書く無数のアマチュアたちが、自分の考えを表現できるようになりました。そこでは、基本的に他者からの介入はありません。もちろん、誹謗中傷はダメですが書きたいことがあれば好きなだけ書くことができます。漢字が間違っていようが、文意が通っていなかろうがお構いなし、ということです。
つまり、誰にもチェックされてない「未熟な文章をそのままオープンにできる」ようになりました。それこそがネットの良いところなのです。どこかアマチュアが書いた文章は本人独特の手垢がついているため、読みにくさはあるのですが個性(エッジ)があり僕はそのような文章が大好きです。
実は「言いたいことがある!」という方は、積極的にブログを始めて見ることをお勧めします。最初はほとんど読まれないので安心してください。僕のブログも未だに花が咲いていませんので。でも、どこかブログを書いた後の「爽快感」が好きでこうして飽きること無く書き続けているのです。
コメント
コメントを投稿