スキップしてメイン コンテンツに移動

ブログを書くことで身に付く3つの力~ネタ/アイデアは「借り物」である~

最近「ブログを書くこと=学習ツール」として捉え始めてから積極的に記事を書いています。
先日,本棚を整理しながら以前読んだ『米国製エリートは本当にすごいのか?』を手に取り
改めて読み直してみました。筆者は米国の大学/大学院教育で主に身に付く3つの能力として,

①多くの知識や経験があること(インプット)

②多くの知識や経験をうまく整理し,つなげる能力があること(プロセス)

③整理された知識,経験をうまく発信する能力があること(アウトプット)

*『米国製エリートは本当にすごいのか?』(著 佐々木紀彦) P.28から引用

を著作の中で指摘していました。日本の大学と異なり米国の大学ではこの3点を徹底的に鍛える
ことで,知的体力を身に付けるです。この辺りは日本の大学も見習う必要があると思いました。

しかし,無い物ねだりをしても仕方ありません。これらを日本の大学教育で身に付けることが
出来ないのであれば,自分で工夫をして身に付ける必要があります。そこでこれらの能力を
身に付ける/鍛えるツールとして「ブログ」が有効なのではないか,というのが今回の記事の
趣旨です。以下は私が考える「ブログを通じて身に付けることのできる3つの力」です。

<ブログを通じて身に付けることのできる3つの力>

①ブログのネタ/アイデアを発想する力(=インプット)

②頭に浮かんだ発想を文章/「形」にする力(=まとめる力)

③「形」にした文章を論理的且つ明快に伝える力(=アウトプット)

私は「ブログを書く」ことで以上の3点の能力を身に付けることができると考えています。

一般的に「ブログを書く」際には「③」が難しいと考えられていますが,私の場合は「①⇒②」
プロセス(=形式化)が難しいと感じます。というのも「①」の段階でぼんやりイメージをすること
が出来ても,「形」(=文章)にまとめられないことが多くあります。時には書くことを断念する場合
もあります。しかし「①⇒②」のプロセスを自分で出来るようになれば,「アイデアを形にする能力
=創造力/発想力」を鍛えることができるようになります。

もう1つブログをあまり書かれない方から「そもそもブログに何を書いたらいいのか分からない」「ブログのネタやアイデアはブロガーのような限られた人にしか思いつかないので,ブログを書いたことの無い私たちには出来ない」という意見をよく耳にします。

確かに,いきなりブログのネタやアイデアが頭に思い浮かんでスラスラと文章を書くことは
非常に難しいでしょう。私もそのようなことは当然ながら出来ないのが現状です。

しかし,「①」は多くの場合誤解が生まれやすいです。つまり「あの人は才能があるからそういうアイデアを思いつけるのだ」という誤解があります。しかし,これは大きな誤解だと私は思います。
もちろん,稀に誰も思いついたことの無いアイデアを思いつく人がいますが例外中の例外です。
一般的な人が文章を書く際のネタ/アイデアを思いつくためには,「幅広いジャンルの読書(量)」
「実体験に基づいたインプットの積み重ね」からしか発想(ネタ/アイデア)は生まれません。

どんなに優れたアイデアも形は違えど「どこかで読んだ文章」「経験を通じて得た感覚」から
自分なりに咀嚼して編集したものなのです。以前,ユーストリームで拝見した代々木ゼミナール
の英語講師である西きょうじ氏の講演会で彼は「人の言葉は全て借り物である」というお話を
されていました。つまり「自分の言葉」というものはこの世に存在しないのです。これと同様に発想
(ネタ/アイデアも)「真のオリジナル」などは存在しないからこそ,人は「借り物から何を発想できるか」がポイントになるのです。

具体的に説明するための余談ですが,以前,MGこと玉置さん「家を出るので本を欲しい人は
私の自宅に来て本を持っていてください」というメッセージをフェイスブック上でされたいたので,
私はMGさんの家に本を貰いに行きました。家に到着すると8つ程度の大きな段ボール箱に本が大量に入っていました。様々なジャンルの本があり,まるで古本屋にいるような感覚でした。もちろんMGさんがこれら全ての本を読んだのかは定かではありませんが,あれほど独創的なアイデアを出すためには「相当量の読書」(=インプット)が必要なのかということを改めて実感させられました。

また,MGさんから頂いた本の中に『富の未来』(著 アルビン・トフラー)があります。本書の説明は割愛しますが,この本の中に「貨幣経済/非貨幣経済」「生産消費者」という言葉があります。これらの言葉やアイデアはまさにMGさんが主張している考えの基礎ではないかと思いました。つまりMGさん程の素晴らしいブロガーでも他者のアイデアを参考にして,そこから自分なりに咀嚼し編集した素晴らしいアイデアを文章にしてフォロワーの皆さんに伝えているのです。

つまり,「面白い発想」や「(一見)誰にも思いつかないアイデア」を出すための近道は「大量の読書」「多くの経験(感度を高める)」を積むことではないでしょうか。人は「経験」(読んだことのある本/実際に体験したこと)からしか発想することは出来ないのです。言いかえれば言葉もアイデアも全て「借り物」なのです。その「借り物から何を発想できるか」が今後さらに重要になると思います。

(エリザベス・ギルバート “創造性を育むには”)

発想力と同様に「創造性」も誤解されやすい概念だと思います。この動画は「創造性」について
自らの「経験」を通じて明快に話をしているので,ぜひこちらも参考にしてください。

<まとめ>

ブログで身に付けることのできる3つの力


①ブログのネタ/アイデアを発想する力(=インプット)

②頭に浮かんだ発想を文章/「形」にする力(=まとめる力)

③「形」にした文章を論理的且つ明快に伝える力(=アウトプット)


私もまだまだ未熟な文章しか書くことが出来ません。今後ブロガーやブログを通じたプロジェクトに関わっている方と交流し,上手な文章を書くためのコツなどを学びたいと考えております。今回の記事や前回までの記事についてご意見やご感想がありましたらお気軽にメッセージをお送りください。

Twitter Kohei_41 http://twitter.com/#!/Kohei_41

Facebook  Kohei Harada http://www.facebook.com/home.php

<最近の人気記事>

「英語」に対する私のスタンス~全ての「英語」は正しい~
http://koheiharada.blogspot.com/2011/12/blog-post_16.html

学びに対する「社会的インセンティブ」を高める必要性~学びが多様化する中で~
http://koheiharada.blogspot.com/2011/12/blog-post.html

フィリピン留学/オンライン英会話に関する16個のまとめ記事
http://koheiharada.blogspot.com/2011/12/16.html

フィリピン留学を成功に近づけるために大事な7つのこと
http://koheiharada.blogspot.com/2011_10_01_archive.html

コメント

このブログの人気の投稿

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道, ふと 「 あること 」に気が付きTwitterでツイートをしました。 男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに 「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合, そこに「萌え」 という感情は湧かない。ある意味で,「着物」 や「浴衣」と同じな のかもしれない。 #ひとりごと 皆さんからすれば,「 君はなんてことを考えているのだ! 」 とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ 4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより, リクルート スーツを着た就職活動生が忙しそう に している姿を駅や学校な どで頻繁に見かけるよう なりました。 リクルートスーツに関しては,以前から「 学生の個性を消して いる 」や「 皆が同じ格好をしていて気味が悪い 」などのような 意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状 です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。) 高島屋がスーツ禁止の入社式 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と して認知されているのが現状です。 しかしそんな中, 世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク ルート スーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「 カワイイ 」あ るいは 「 萌え 」という感情を抱いている場合が多いです。 反対に, 世の女子の多く (正確な数値は不明)は,リクル ート スーツを着 た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という 印象 を抱く場合が 多いようです。(あくまでも,個人の主観です) では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。 「 なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか? 」 (皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い ます が, 一般的な傾向として理解して頂けると助かります。) 正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「 非日常 」 を見い出すことが可能だからだと思います。

[仕事]大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に

仕事は “大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に” やりなさい 入社以来、直属の上司から繰り返し何度も言われている言葉です。要するに「 ミスを恐れて萎縮しないようにしながら、何事にも決して慢心かつ油断せずに仕事に取り組む ことが大事である 」ということを私に伝えたかったのだと思います。 細かい部分にも目を配れる人は、言葉次第でミスを恐れず大胆に行くように指示を出せるが、細かい部分を蔑ろにする人にはいくら言葉で注意しても修正するのが難しい 、とも頻繁に言われています。よく指摘される「 細部に神が宿る 」とは正にこのことです。 これからも「 確認 」を怠らずに仕事の量と質の向上を意識して働ければと思います。

現代は「選択肢が少ない」方が幸せかも知れない-「選べないなら、選ばない」-

ツイート 「選ぼうとするから選べない」むしろ「敢えて"選ばない"」というシンプルな考え方。 過度な主体性ではなく,流れに(意識して)身を任せる受動性。(過去のツイート) 膨大な選択肢から無理して何かを選ぼうとするときつくなる。選べないなら、選ばない。取りあえず限られた選択肢の中で選ぶ。"良い"選択肢は少なくなったかも知れないけど、選ぶ際の負担は軽くなった。これからは選択肢を「選ぶこと」から「捨てること」という考えにシフトしていきます。(過去のツイート) 私たちは,人生の中でことある度に 「選択すること」 を否応なしに迫られています。 何を食べるのか , 何を飲むか , どの学校に進学するのか , どこに就職するのか , 誰と結婚するのか , 老後はどこで過ごすのか ,など多くの選択が私たちの人生を決定づけると云っても過言ではありません。 また,選択肢の多さや比較的自由に選択できる権利は,多くの場合 「経済的環境」 と関連があると思います。その意味で,先進国の日本は比較的多くの選択ができるという意味では,非常に恵まれた環境です。 インド のような カースト制度 はなく,海外からの信頼の証であるパスポートを持ち 海外旅行 にも自由に行くことが出来る,また 学歴社会 といえども就職先も基本的には 自由意思 で選ぶことが出来る,私たちは数え切れないほどの 選択肢 と 選択の自由 を抱えて暮らしています。さらに,昨今の ソーシャルメディア の普及により 膨大な情報 とそれに伴う形で (本来,知るはずのない)選択肢 が可視化されるようになりました。それが,結果的に 「 隣の芝は青く見える 」 ことになるのです。 ところで皆さんは, 数多くの選択肢があることを幸せだと感じますか 。もちろん,選択できないよりは出来た方がいいに決まっていますが,果たして本当に幸せなのだろうかというのが,ここ最近私が考えていることです。 過剰な選択肢 は時として, 大きな迷いを生み決断を遅らせる原因 となっているのではないでしょうか。 日本でも非常に売れている 『選択の科学』 の著者でコロンビア大学の シーナ・アイエンガー教授 のTEDスピーチ 「いかに簡単に選択をするのか」 が,私が考えていることを分かりやすく