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「英語」に対する私のスタンス~全ての「英語」は正しい~

昨今のグローバル化や社内英語公用語化などの影響で「英語ブーム」が再来しています。
書籍,ブログ,ニュース記事などにおいて頻繁に「英語特集」が組まれています。また以下
の動画では,世界には20億人もの英語学習者がいるという驚くべき指摘がされています。

(Jay Walker's talk on English Mania)

『成功ルールが変わる!』 著 ヨーナス・リッデルストラレ&シェル・A・ノードストレム

言葉を介して同意するにせよ,対立するにせよ,共通言語が必要となる。
現代の企業にとって,このことは戦略的な仕事を任されている社員全員が,
必ず英語を話さなければならないことを意味する。

『「知の衰退から」いかに脱出するか?』 著 大前研一

私は以前から言っているのだが,この「メシを食っていく手段」には”三種の神器”がある。
それは,「英語」「ファイナンス」「IT(それを駆使した論理思考,問題解決手法を含む)」で,
この3つは必須科目である。この”三種の神器”を学生時代にピカピカに磨いておかなければ
ならないということになる。


三木谷浩史・楽天会長兼社長-英語が出来ない役員は2年後にクビにします-
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/810ee47297d49033c2a4b43a0a5216e0/page/1/

昔から「英語だけしゃべれて仕事ができない奴がいっぱいいる」という人が必ずいるが,
もう英語は必要条件。読み書きそろばんと同じ。その意味で,英語がしゃべれない社員
は問題外です。


上記のように「英語」の必要性は数十年前から何度も日本で叫ばれている主張です。しかし,これだけ英語の必要性が各種メディアで取り上げられ,また教育現場にいて中高大と何十年間も英語を学んできたにも関わらず未だに日本人の英語力が向上したとは言えない状況が続いています。

特に私自身が周りの方々と「英語」に関するお話をしていて気になることが数点あります。

①「英語の発音やアクセント」に対するこだわり

多くの日本人は「米国英語と英国英語の違い」「癖/アクセント」などの英語初心者にとって瑣末な問題にこだわり過ぎているように感じます。もちろん「米国英語と英国英語の違い」や「癖/アクセント」などは重要な事柄だとは思いますが,これらは「英語が得意な人」あるいは「英語専門家」に任せておけばいいわけで,私を含めた英語初心者があまり気にする問題ではないと思います。そもそもいわゆる「ネイティブ」と呼ばれる英語話者よりも「非ネイティブ」の英語話者の方が世界においては圧倒的多数を占めるので,ネイティブと呼ばれる人々の英語に執着する必要はないのではないか,というのが私の意見です。

②米国英語/英国英語以外の英語に対する認識不足

もちろん世界にはインド英語シンガポール英語(=シングリッシュ)など一般的に「癖/アクセント」が強いとされている英語は確かに存在します。恐らく,アフリカなどにも独特の英語が存在するでしょう。私の場合これら全ての英語は「正しい英語」であり,「良い/悪い」を判断することはできまん。ただ,多くの日本人は英語力に関しては「初心者」のカテゴリーに分類されるので,これらの英語をいきなり身に付けるのはやはりハードルが高いですし,ある意味で「特徴的な英語」ですので応用が効きやすいか問われると,正直厳しいのではないかというのが私の意見です。

その点,最近ソーシャルメディア上で話題になっている「フィリピン留学/オンライン英会話」は私も含めて「英語初心者」に属する人にとっては最適なツールだと思います。特に,フィリピンは元々米国の植民地であったという歴史から「英語教育」がきちんと浸透しており,比較的世界で応用が効きやすいとされている「米国英語」を彼らは「公用語」として習得している,最近ではインドを抜いてコールセンターの数が世界一になっている,彼らは日本人と同じようにネイティブスピーカーではない,日本と同じアジアで多くのフィリピン人がフレンドリーである(特に女性),そして低コストで英語を学習することができるという点から,日本人が英語を学ぶ上でフィリピンは最高の環境であると思います。実際に私もフィリピンで3ヶ月間留学をしていましたが,先生以外のショッピングモールにいる店員なども英語を話せるので,英語を利用する環境が整っている点では非常に良いと思います。


<参考記事>

”コールセンター大国の座”を射止めたフィリピンの実力 
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2198


原田康平さんのフィリピン留学体験記 
http://www.cne1jp.com/story/Kohei_41/


もちろん英語で学問を学びたい,あるいは英語レベルが高い人は欧米諸国で英語を学んだ方が
良いと思います。ただ,多くの日本人は英語が苦手,話すことが出来ないという初心者であるのですから発音やアクセントなどが比較的キレイとされるフィリピンで英語を学ぶメリットがあるのです。

③日本人にも「癖/アクセント」はある 英語は「ツール」

ハッキリいって日本人の話す英語にも癖があるという認識を持った方が良いです。特に日本独特の「カタカナ英語」で学んだ発音は,留学中に何度も先生に修正されました。たた,所詮「英語」=コミュニケーションツールなのですから,あまり肩ひじ張らずに先ずは「楽しむ」ことを意識したほうが,良いのではないかと思う部分もあります。

④「英語」そのものに対する認識不足 「経験」を通じて英語の必要性を感じる

ただ一部では,「英語だけ出来て仕事が出来ない奴が多い。」「英語が出来なくても仕事ができればいい」「グーグル翻訳があるのだから英語の勉強なんてしなくていい」など様々な意見があります。各種意見は個々人の自由だと思う一方で,上記の意見に対して私自身が考えていることがあります。

先ずは,これらの言葉が「英語の必要性を感じているにも関わらず,英語学習をしたくないことの言い訳になっているのではないか」と感じることがあります。もちろん個々人の自由なので私が口を出す筋合いはありませんが,英語が苦手/出来ないことによる「機会損失」を果たして考慮しているのかが気になります。例えば,ビジネスの現場で外国人と交渉をしなければならない時に「英語」に苦手意識があるために,その場を他の英語ができる人に機会を奪われてしまう可能性も否めません。また,もしかしたら「英語」ができない/苦手意識があるために,本来あなたがしていた「仕事」を他の人に奪われてしまうかも知れません。最近では海外から来た優秀な中国人ベトナム人が日本人が行っていた「仕事」を「低コスト」且つ「高いパフォーマンス」でこなしているのが現実です。

<参考記事>

日本人の仕事がなくなる日!? 日本語学習者の卒業後の仕事とは
http://84ism.jp/archives/15930

最後に,日本に住み英語の必要性を感じることができない,あるいは英語の「癖/アクセント」に強いこだわりを持ってしまっている方は,ぜひ一度海外に行かれることをお勧めします。特に「英語ネイティブ」ではない国に行くことをお勧めします。海外に行かれたことのある方なら,ご理解して頂けるとは思いますが,世界にでると「文法や発音がいい加減な英語」だらけです。本当に「変な英語」を話す人があちらこちらにいます。でもそれらの英語も全て「正しい」のです。

英語の必要性あるいはインセンティブを感じるためにも,特に時間のある学生は早い段階で海外に行くことをお勧めします。世界各地で実際に使われている「地域の英語」を肌で感じてみてください。
そうすれば発音やアクセントが良い/悪いなどという瑣末な話をすることに価値が無いことを理解することができます。

私もこのような記事を書きながらも実際に数カ国しか海外に訪れたことがありません,またその他のアジア諸国,中東,アフリカ地域の英語話者と会話をしたことがありません。私は「世界中の人たちの言語を尊重しながら彼らとコミュニケーションを取ること」が最大の目標なので,世界中の様々な個性を持った英語を聞いてみたいと思うのです。

私たちが知らない世界を実際に経験されている以下で紹介する方々のツイートやブログを
参考にして,言葉に限らず「各地の文化や生活を感じること」は非常に素晴らしいことです。

太田英基さん
サムライバックパッカープロジェクト
http://samuraibp.com/

青木優さん
Hibilog  Facebook☓世界一周
http://www.aokiu.com/

八木駿祐さん
「社会を変える」に出会う旅
http://ameblo.jp/shunsukeyagi/


彼らのツイートやブログを見ると,さらにリアリティを感じることができると思います。
私も彼らのように世界で多様な経験を積んで,今後の人生に活かして行きたいです。

もちろん私の「英語力」もまだかなり低いので継続的な努力が必要であり,皆さんと「英語」や「教育」関連でプロジェクトを進めることができたら幸いです。何かご感想やご意見がありましたら,お気軽にメッセージをください。よろしくお願いします。

<参考記事>

フィリピン留学を成功に近づけるために大事な7つのこと
http://koheiharada.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

フィリピン留学/オンライン英会話に関する16個のまとめ記事
http://koheiharada.blogspot.com/2011/12/16.html

学びに対する「社会的インセンティブ」を高める必要性~学びが多様化する中で~
http://koheiharada.blogspot.com/2011/12/blog-post.html?spref=tw

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