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海外ではなく国内にとどまるフィリピンの若い世代 【BBCより】

先日,非常に興味深い記事をBBCで見つけたのでブログで共有します。

Young Filipinos staying home instead of working overseas
http://www.bbc.co.uk/news/business-16104640

9月から11月まで3ヶ月間フィリピンで語学留学をしたことで,「英語」だけではなく「文化・生活」
直接体験することができたおかげで,フィリピンについてより一層の興味を持つようになりました


<参考記事/書籍>

海外から見た日本 海外出稼ぎ労働者 http://philnews.seesaa.net/article/121946184.html

現代フィリピンを知るための61章【第2版】 http://p.tl/t_hD


特にフィリピンという国を理解する上で欠かせないのが「海外出稼ぎ労働者」の存在です。
以下の文章でも指摘しているとおり,推定900万人以上のフィリピン人が世界100カ国以上
で働いています。主な目的は「国内への送金」であり,これらの送金の多くは国内に住む
家族の生活費子どもの学費/養育費などに充てられています。また主な職業として
看護師メイド教師コンピュータープログラマーなどとして働いているのが現状です。

本記事の「海外ではなく国内にとどまるフィリピンの若い世代」(筆者訳)では,フィリピン
の若い世代で従来の「海外出稼ぎ労働」に対する考えが変わりつつあることを指摘しています。


Like more than one in 10 of the Philippine population, they accepted more lucrative jobs overseas so they could send money back home to their families.


「多くのフィリピン人は賃金の高い職を求めて海外で働くことで,自分たちの家族に送金できる。」

フィリピンでも雇用状況は大変厳しく,大学を卒業しただけで誰でも職に就けるという訳ではなく,
また,米国と同じようにスキル/専門性や経験を問われるため,学生は「看護師」「エンジニア」「教師」などのスキルや資格を得るために大学でそれぞれ専攻を選択し勉強をします。

この過程で親は子どもの学費を賄うために海外で働くことは決して珍しいことではありません。
現に私が通っていた語学学校の講師とこの話題に関して話をした際に,両親のどちらか一方が海外で働いていた(あるいは働いた経験がある)ということを話してくれました。これもまたこの国の現実なのです。


It is easy to see, though, why more than nine million Filipinos decide to go abroad; they can easily earn double or triple their wages.


「なぜ900万人のフィリピン人が海外で働くことを決めたのかを理解するのは容易である。
 つまり,フィリピン国内の2~3倍の給料を簡単に稼ぐことが出来るからである。」

According to Rey Tayag, from the Overseas Workers Welfare Association (OWWA), teachers in the Philippines earn 8,000 pesos (£120; $180) a month, and nurses earn even less. If they accept a foreign job, even as an unskilled domestic maid, the starting salary is at least 10,000 pesos.


「フィリピン国内で働く教師の給料は月8000ペソ(日本円:約16000円),看護師はそれ以下である。もし海外で職を得るなら,スキルの無いメイドでさえ初任給は少なくとも10000ペソ(日本円:約20000円)である」 *日本の新卒初任給100000ペソ(日本円:約200000円)


特にフィリピン含めて新興国の賃金水準を聞くと驚かされます。もちろん各国の経済状況や物価はそれぞれ異なるため一概に比較することはできませんが,特にフィリピンの賃金日本人の賃金を比較すると驚くばかりです。また海外で働くフィリピン人の多くは「英語」を流暢に話します。


また,新興国であるフィリピンと先進国である日本を比較した際に「働くことに対する意識の違い」
を非常に感じています。日本人の場合は「やりたいことを仕事にする」「好きなことを仕事にする」「〇〇の仕事は嫌いだからやりたくない」など,お金にあまり執着せずに業を自由に選択できる風土(=経済的余裕)があります。一方でフィリピン人の場合は「お金」や「スキル」を最優先に考え「職業の好き/嫌い」に関係なく職業を選択する傾向にあります。


これらの点から,私は日本人として「とても恵まれた環境にいる」と感じます。また企業がスキル/専門性乏しい大学生を新卒として採用し,丁寧な研修を一通りしてくれて約20万円の初任給出るということは世界的にも見ても珍しいです。またグローバル化という観点から見ても,将来的にフィリピン人のような「賃金水準」かつ「優秀で英語を話せる」人材たちと直接/間接的に競争することを考えると,「何を今/将来すべきか」を真剣に考えざるを得ない状況にあります。



"We were a very disjointed family - my mum being in New York, my dad being in Saudi Arabia and me being here in the Philippines," she recalls. And when she moved abroad to be with her parents, she missed the Philippines - yet when she was back in the Philippines, she missed her parents again.


「私の母はニューヨーク,私の父はサウジアラビア,そして私はフィリピンにそれぞれ住んでいた。
彼女は両親と共に海外に引っ越した時,フィリピンが恋しく思った。しかし,フィリピンに戻って来た時,また両親が恋しくなった。」


一方で両親が海外に働きに出ていってしまうことで,子どもたちは非常に寂しい思いをすることになります。もちろん子ども達の理想は「フィリピンで両親とともに仲良く暮らすこと」です。しかし,現実は異なります。この時に子どもにとって非常に難しい選択を迫られます。日本では父親国内で単身赴任をすることは多くあり,また家族が同じ日本国内にいるため海外と比較して心理的不安は軽いと思われます。このBBCの記事の中でも,私は特にこの文章には非常に考えさせられました。


But as part of the next generation - a child of overseas workers - she can now take advantage of the money her parents have earned, and the good education it has paid for - to live a life she chooses.


「海外出稼ぎ労働者の子どもである次世代として,彼女は両親が稼いだお金を利用することが
出来る,そして質の高い教育のおかげで彼女は生活を選択することが出来るのも事実である。」


両親が海外で働いていたからこそ,学校に通うことが出来る(た)子どもが多くいるということも事実なのです。質の高い教育を受けた学生が,今のフィリピンが抱える問題を解決するために孤軍奮闘しています。また従来の「海外で働く」という価値観を理解しながらも,母国であるフィリピンで暮らすことを選択する頼もしい若者が少しずつ増えています。


<まとめ>


最近,「海外で働きたい」と考える学生/若者が日本でも増えてきていると感じます。これは非常に頼もしいことですし,ドンドン応援したいと思います。しかし,当然ながら海外特に新興国で働こうとすると賃金は現地水準(最初は無給かも)になる可能性が非常に高いです。もしかしたら,あなたが海外で働くということは現地の人たちの雇用を奪うことにもなります。ということは自分が現地の人たちの仕事を奪うだけの「正統性(根拠/結果)」を示さなければなりません。またフィリピン人が海外で働く覚悟に,果たして日本人が海外で働く覚悟は勝つことが出来るのでしょうか。今後はこの点に注目しながら,私も海外特にアジアで働くことを視野に入れながら行動していきます。


<参考サイト>

Overseas Workers Welfare Administration 
http://www.owwa.gov.ph/wcmqs/

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