スキップしてメイン コンテンツに移動

学びに対する「社会的インセンティブ」を高める必要性~学びが多様化する中で~

ここ最近考えているテーマが「教育」と「インプットウトプット」についてです。このテーマについては様々な方々が既に書かれているとは思いますが,私自身も「大学生」という立場で思うところがあるので,今回書くことにしました。

このテーマを書いた理由の1つにシリコンバレーでWebデザインなどをされている経営者の方とお会いしたい際に「日本人はインプットは上手だけどアウトプットが苦手だよね。」というお話をされていたことを,思い出したからです。

昨今において,ソーシャルメディアが普及したことで大量の情報に瞬時に触れることが出来るようになり,またソーシャルメディアを通じてセミナー,勉強会やオフ会などの「学びの場」が増えたことでインプット量が以前よりも格段に増えています。下記の調査においても「消費者はTwitterを主に情報収集(ソーシャルフィルタリング)ツールとして活用」という結果が公表されています。つまり「インプット」を目的にソーシャルメディアを利用していることがこの調査からも分かります。

ソーシャルメディアに関する調査 2010http://www.yano.co.jp/press/press.php/000671

しかし,そのように大量に触れた情報を皆さんはどのようにアウトプットされているでしょうか。これはソーシャルメディアに限らず,大学生であれば大学で学んだことをどのようにアウトプットしているのでしょうか。以下では「アウトプット」を「教育」などと関連付けて5つの視点から考えていきます。

①大学生の勉学に対する取り組み(特に文系)


12月から就職活動のナビサイトもオープンし大学3年生の就職活動が本格的にスタートしました。特に今年は経団連が「就職活動の早期化」による「学業の妨げ」を防ぐために例年より2カ月時期を後ろ倒しにしたことで「短期決戦」というように連日メディアで大きく取り上げられています。

この経団連の主張に対して,「最近の大学生は勉強していないのだから,この方針の効果は少ない。」という主張をされている方もいます。特に私を含めて文系の学生は「勉強していない」というレッテルを社会から貼られている感は否めないです。(実際は個々によると私は思いますが)

この点に関して私自身が大学にいながら感じていたことは,特に多くの文系学生は「学んでいる内容が将来の仕事やビジネスにおいてどのように生かされるのかを理解出来ていない。」と言うことです。そもそも大学教授も企業に勤めずに大学に属している場合が多いので,自らが生徒たちに教えていることが仕事やビジネスでどのように役に立つのかを「理論」で説明することは出来ても,特にビジネスの「経験」で語ることは困難だと思います。

反対に理系あるいは専門学校の場合は,自らが学んでいる内容が将来の仕事に直結する可能性が極めて高いため,学生時代にすべきことが明確になるのではないかと考えています。つまり,学ぶことに対する「社会的インセンティブ」が高いということになります。ある意味で「ゴール(目標)」が見えている状態から逆算しているのでしょう,一方で文系の場合「ゴール(目標)」が曖昧な場合が多く,逆算して学ぶことが難しく,また学んでいることが将来の仕事に役立つかどうかが分かりにくいため,学ぶことに対する「社会的インセンティブ」が低いのではないかと私は考えています。

まとめると,文系の学生は「ゴール(=アウトプット先)」を実感し難いために,「勉強(=インプット)」の効果あるいは意味を理解することができない。従ってこのことが「学ぶ」ことに対する「社会的インセンティブ」の低下に繋がっているのではないでしょうか。

(もちろん,「個人の意思」が重要であることに異論はありません。)

②アウトプットツールに対する認識


ただ上記の内容を嘆いているだけでは何も変わりません。ここでは「学ぶ」ということに対する認識を変える必要があります。私の意見では,今の大学生は昔に比べて圧倒的なインプットをしています。読書,新聞,インターネット,ソーシャルメディア,セミナーなどを通じて大量の情報を手に入れています。その意味で「インプット」は素晴らしいと思います。しかし,そのインプットしたものを「アウトプット」していないのではないでしょうか。これは学生に限らずセミナーや勉強会に参加しても「アウトプット」をしない社会人は数多くいます。情報収集(=インプット)が「目的」になっているのです。

今後は,大学で学んだことやインプットした情報をソーシャルメディア,ブログ,ユーチューブ又は家族や友人との会話,ディスカッション,インターンシップ(長期),アルバイトなどの機会を利用することで,インプットした情報を積極的にアウトプットすることが求められます。今の社会で求められているのは,インプット力ではなくアウトプット力であり,まさしく「結果」が求められます。


特に「ブログを書くこと=最良のアウトプットツール」であるという認識が少しでも広まると良いと思っています。学校のレポートは大学教授にのみ添削されます。もちろん彼らはプロなのでこれ自体は素晴らしいことだと思います。しかし,現在これだけインターネットが普及したのですから,レポートだけではなくオンライン上特にブログに内容をアップすることで不特定多数の人の目に文章を見てもらうことが出来ます。もしかしたらその文章がキッカケで「新しい出会い」や発見が生まれるかもしれません。特に大学生はこの機会を簡単に見逃すわけにはいかないでしょう。

Open Study http://openstudy.com/about-us


③アウトプットの「結果」を先に見る


アウトプットをする重要性を説く一方で,アウトプットの「結果」を考える必要があります。先にアウトプットの「結果」を見ることで自分にとって本当に必要な「インプット」が自ずと把握することが出来ます。そうすれば無駄なインプットをしなくて済み「時間の短縮」に繋がります。

◆フィリピン英語で体感した「英語」レベルについて

私は9月から11月の3ヶ月間フィリピンで語学留学をしていました。そこで体感したことは少なくとも「このレベルの英語」を用いれば,日常生活では困らないということを自らの体験値として把握できたことが,自分にとって大きな自信になりました。また自分にとって本当に必要なインプットの「量と質」を認識することが出来ました。人それぞれですが,自分の目指すべき目標次第でインプットの量と質も変わります。減らすことが出来た分のインプットを別のことに振り分けた方が効率的です

私は大学で「統計」を学んでいますが,正直これが社会に出てビジネスでどのように役立つのか分からなかったため,一時期統計やデータを勉強するのが嫌いになりました。というのも統計に関する
教科書や参考書だけでは「統計」のリアリティを感じることが出来なかったからです。しかし,社会人の方からビジネスのお話や各種の”生の”データを見せてもらうことで,自らが大学で学んでいることがどのように生かされるのかを具体的にイメージすることが出来ました。また「統計」に関する新書なども合わせて読むことで,より「統計」に興味を持つことが出来るようになりました。その意味で,学生は「情報の吐き出し方(=アウトプット」を学生は「先に」見つける努力をした方が良いと思いました。それを「情報の入れ方(=インプット)」に繋げる方が効率的です。



④学びの「手段」と「場」の多様化

先ほども記したように世間では「最近の大学生は勉強していない」という考えが主流です。しかし,一方で今の時代は昔と比べて「学び」の形が多様化しているのではないかと,私は考えています。昔はインターネットが無かったので「学び」の手段は学校に通うか,読書などをしてそれを友人と近くの喫茶店で何時間も議論をしていたのだと思います。これはある意味でアナログ的でまた身近にいる人同士で行われるものでした。しかし,今の時代はインターネットの普及に伴いスカイプを利用したオンライン学習やソーシャルメディアを通じて不特定多数の人が集まることのできる場ができたことにより,場所に縛られずに学習することが出来るようになりました。むしろ学びの機会や場所が多様化している中でむしろ「学び」が学校にのみ縛り付けられるのは既に古いと思います。学生側ももし学校に価値を見い出すことが出来ないと感じるのならば,外部で勉強する機会を見つければいいのです。オンライン学習も盛んになっている訳で,スカイプで議論をすればいいし,必要ならば勉強会をオフラインで開催しても面白いと思います。アウトプットできる場は多様化しています

学生と社会人でカフェで交流することのできるこの企画は本当に素晴らしいと思います。私も参加経験があり,「生き方」や「働き方」などをゆったりとした雰囲気で話し合うことのできる場です。これも新しい「学び」の場を提供しているのではないかと思います。特に私はオフ会などに参加したことの無い方に,この企画をいつも紹介しています。


latte 価値観を交換するサイトhttp://www.latte.bz/


海外の大学生と比較して日本の大学生は勉強をしていないという指摘は毎回のごとくされています。この指摘は間違っていないとは思います。しかし,一方で海外の大学生は普段の勉強やテスト前の勉強に忙殺されてしまい,自らの大事な時間を好きなことに充てることができてないという指摘もあります。逆転の発想を生かして「自由時間」を新しい学びの時間に当てることは決して悪いことではないと思います。このブログのおかげでこのことに気が付くことが出来ました。



「日本の大学はダメ」で思考停止せず,自分の頭で考えよう。http://p.tl/FODC


⑤社会的インセンティブをもたらす仕組み

最後に「学び」に対する「社会的インセンティブ」をもたらす仕組みを作る必要があると考えています。つまりインプット/アウトプットすることのメリットを社会が提示する必要があります。例えば,従来のインセンティブは,勉強すればするほど好成績になりいい大学に進学でき,大企業に勤めることができるという意味でインセンティブが働いていました。しかし,今の時代そのような「有形インセンティブ」だけではなく「無形インセンティブ」が人が学ぶ上でのモチベーション維持に繋がるのではないかと考えています。ブログの場合は「コメント」や「反響」,ツイッターの場合はリツイート,Facebookの場合はいいね!数など,今後は「いい大学/いい企業」というような「有形資産」ではなく「無形資産(=評判/信頼)」が学ぶ上でのインセンティブとして機能してくるでしょう。

とは言いつつも,インプットとアウトプットをすることでどのように社会で評価されのるかということを
把握できるようになれば,人はもっと学びに貪欲になれるのではないでしょうか。特に日本人の場合は「間違えること=恥」という認識が主流でアウトプットを恐れている人が多く,また企業などにおいても若手のアウトプットを受け入れる難い環境があるという話もよく聞きます。

上記を野球に例えると,素振り(=インプット)は一生懸命やるがミスを恐れて試合に出る(=アウトプット)ことを拒否するあるいは出してもらえないというイメージに近いと思います。

また「インプットとアウトプット」「呼吸」に似ているとよく言われます。

大きく息を吸う(=インプット)ためには,大きく息を吐く(=アウトプット)必要があります。日本人,特に学生はインターネットなどの普及に伴い「インプット量」が多すぎるために「過呼吸」状態になっている気がします。今はもっと息を吐かないとまたは吐き続けないといけない時代です。

この意味でも「インプットとアウトプット」することの意味をもう一度問い直す,つまり「最高のアウトプット」をするためには,どのようなインプットをすれば良いのかを考えて行動に移す必要があるのではないでしょうか。


「最近の大学生は勉強しない!」とただ嘆くだけではなく,その勉強がどのように社会あるいはビジネスで役に立つのかを大学または社会人は示すべきであり,学びに対する「社会的なインセンティブ」が無い状態で勉強を続けるのは,やはり難しいと思います。

ダニエル・ピンクが提唱した「モチベーション3.0」が理想だと思いつつも,学習の初期段階では「モチベーション2.0」が重要ではないかと考えています。先ずは今の学びが将来どのように役立つのかを様々な「経験」を通して理解する必要があります。

◆最後に

最近オンライン教育に関して非常に興味があります。特にスカイプやソーシャルメディアなどを利用した教育システムにお詳しい方がいらっしゃいましたら,ぜひお話を一度お伺いしたいと思っております。また,このブログに対する感想などがありましたら,ぜひお気軽にコメントをください。

<参考記事>


YouTube launches schools-friendly video service
http://www.bbc.co.uk/news/technology-16141986

YouTube for Schools Is Education Hub for the Digital Age http://mashable.com/2011/12/12/youtube-for-schools/


小学校から大学教育まで英語で学習できる授業動画サイト
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/97c965fde657050484c6fbeb7d3ca115




コメント

このブログの人気の投稿

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道, ふと 「 あること 」に気が付きTwitterでツイートをしました。 男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに 「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合, そこに「萌え」 という感情は湧かない。ある意味で,「着物」 や「浴衣」と同じな のかもしれない。 #ひとりごと 皆さんからすれば,「 君はなんてことを考えているのだ! 」 とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ 4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより, リクルート スーツを着た就職活動生が忙しそう に している姿を駅や学校な どで頻繁に見かけるよう なりました。 リクルートスーツに関しては,以前から「 学生の個性を消して いる 」や「 皆が同じ格好をしていて気味が悪い 」などのような 意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状 です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。) 高島屋がスーツ禁止の入社式 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と して認知されているのが現状です。 しかしそんな中, 世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク ルート スーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「 カワイイ 」あ るいは 「 萌え 」という感情を抱いている場合が多いです。 反対に, 世の女子の多く (正確な数値は不明)は,リクル ート スーツを着 た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という 印象 を抱く場合が 多いようです。(あくまでも,個人の主観です) では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。 「 なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか? 」 (皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い ます が, 一般的な傾向として理解して頂けると助かります。) 正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「 非日常 」 を見い出すことが可能だからだと思います。

[仕事]大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に

仕事は “大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に” やりなさい 入社以来、直属の上司から繰り返し何度も言われている言葉です。要するに「 ミスを恐れて萎縮しないようにしながら、何事にも決して慢心かつ油断せずに仕事に取り組む ことが大事である 」ということを私に伝えたかったのだと思います。 細かい部分にも目を配れる人は、言葉次第でミスを恐れず大胆に行くように指示を出せるが、細かい部分を蔑ろにする人にはいくら言葉で注意しても修正するのが難しい 、とも頻繁に言われています。よく指摘される「 細部に神が宿る 」とは正にこのことです。 これからも「 確認 」を怠らずに仕事の量と質の向上を意識して働ければと思います。

現代は「選択肢が少ない」方が幸せかも知れない-「選べないなら、選ばない」-

ツイート 「選ぼうとするから選べない」むしろ「敢えて"選ばない"」というシンプルな考え方。 過度な主体性ではなく,流れに(意識して)身を任せる受動性。(過去のツイート) 膨大な選択肢から無理して何かを選ぼうとするときつくなる。選べないなら、選ばない。取りあえず限られた選択肢の中で選ぶ。"良い"選択肢は少なくなったかも知れないけど、選ぶ際の負担は軽くなった。これからは選択肢を「選ぶこと」から「捨てること」という考えにシフトしていきます。(過去のツイート) 私たちは,人生の中でことある度に 「選択すること」 を否応なしに迫られています。 何を食べるのか , 何を飲むか , どの学校に進学するのか , どこに就職するのか , 誰と結婚するのか , 老後はどこで過ごすのか ,など多くの選択が私たちの人生を決定づけると云っても過言ではありません。 また,選択肢の多さや比較的自由に選択できる権利は,多くの場合 「経済的環境」 と関連があると思います。その意味で,先進国の日本は比較的多くの選択ができるという意味では,非常に恵まれた環境です。 インド のような カースト制度 はなく,海外からの信頼の証であるパスポートを持ち 海外旅行 にも自由に行くことが出来る,また 学歴社会 といえども就職先も基本的には 自由意思 で選ぶことが出来る,私たちは数え切れないほどの 選択肢 と 選択の自由 を抱えて暮らしています。さらに,昨今の ソーシャルメディア の普及により 膨大な情報 とそれに伴う形で (本来,知るはずのない)選択肢 が可視化されるようになりました。それが,結果的に 「 隣の芝は青く見える 」 ことになるのです。 ところで皆さんは, 数多くの選択肢があることを幸せだと感じますか 。もちろん,選択できないよりは出来た方がいいに決まっていますが,果たして本当に幸せなのだろうかというのが,ここ最近私が考えていることです。 過剰な選択肢 は時として, 大きな迷いを生み決断を遅らせる原因 となっているのではないでしょうか。 日本でも非常に売れている 『選択の科学』 の著者でコロンビア大学の シーナ・アイエンガー教授 のTEDスピーチ 「いかに簡単に選択をするのか」 が,私が考えていることを分かりやすく