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大学生が「大学生/若者」について考えてみる~多様化という波~

「学力低下」「ゆとり教育」「就職氷河期世代」「3年で仕事を辞める」「内向き」「○○離れ」

これらの言葉は現代日本の「大学生/若者」を語る上では欠かせない用語である。主にマスメディア就活コンサルタント雇用コンサルタント企業関係者学者の方々が特に好んでこれらの用語を多用し,「大学生/若者」を説明しようとする。また「就職活動による学業の阻害」「新卒一括採用の是非」についても彼らは自らの威信をかけて積極的な議論を行っている。

茂木健一郎さん「新卒一括採用に対して宣戦布告」 http://togetter.com/li/221382 
「大学生は主体性が足りない」経団連,企業アンケート http://p.tl/GypH
「海外勤務したくない」大学生の内向き志向が一段と進む http://p.tl/yemO

しかし,ここに当事者の「大学生/若者」が不在であるという点に問題がある。一体,彼らは誰のために議論をしているだろうか。これらの議論の当事者である「大学生/若者」を抜きにして行うのはある意味で不公平かもしれない。その意味でこれらの議論はやや的外れだとも言える。
「大学は就活予備校じゃない」学生らが“就活ぶっこわせデモ” http://p.tl/nMpb
このデモについて私は賛成でも反対でもない。ただ,まさにこの問題の当事者である
「大学生/若者」」が行動を起こしたという点についてはもっと評価されても良いと思う。
イノベーションを舐めるな,イノベーションは始まっている http://p.tl/ndv7
     今の大学生,ものすごいことを起こすかもしれない (1/3) http://p.tl/SSG7

昨日,この2つの記事を読んだことをキッカケに今回の記事を書くことに決めた。これらの
当事者である「大学生/若者は結局のどのように思ってるのか?」という部分が核心である。

そこで今回は大学生が「大学生/若者」について考えてみると題して,まさに当事者である「私」の意見を整理するために書いた。私は「○○が良い/悪い」などという断定的な意見を今回の記事で伝えようとしているのではない。あくまでも淡々とこのテーマについての意見を述べるだけである。

これらの言説の多くは,「大学生/若者以外」の人々によって語られたものであり,この種の議論の多くは,当事者である「大学生/若者」を抜きにして行われている。従ってこれらの議論を聞いていると腑に落ちないと言うのが正直な感想である。そこで以下の3点から「大学生/若者」を考えてみる。

学び/勉強の多様化 関連ワード:「学力低下」「ゆとり教育」


少子化で子どもの数が減少しているのにもかかわらず大学数が増加したことで大学全入時代が到来した。本来,大学に入学することができないとされた層が大学に入ることができるようになり,学力低下を招いたという指摘がされている。また「ゆとり教育」が学生全体の学力低下を招いたともされている。つまり「大学生=勉強をしない」というレッテルは以前から分かっていたはずなのに放置され続けてきた。そもそも30年以上前から大学のレジャーランド化は指摘されていたので,大学が学びの場として機能していないのは自明であったはずである。もちろん文系/理系や所属ゼミナールなどに個々の学生または学校で差はあると考えている。

私は「大学生=勉強をしない」という意見に対して確かに同意せざるを得ない部分もある。しかし,
前回の記事でも指摘した通り,今の学生は昔の学生に比べて「学び」が多様化していると私は考えている。「勉強=学問」としての認識ならば世間一般の認識も一部正しいのかも知れないが,「勉強=学び」という認識であるならば,現在の大学生はより多くのことを学んでいる。インターネット/SNSの影響が特に大きいと感じる。つまり「勉強は大学でやる」という従来のパラダイムから抜け出して外部で積極的に活動をする学生が増え,また彼らの活動がSNSを通じて他の学生に可視化されるようになった。多くの大学生が学生団体インターンシップボランティア海外留学NPOビジネスコンテストなどいわゆる「座学」から離れた場所で「学び」を深めているのもまた事実なのである。従って一概に「大学生が勉強しない」という意見に私は賛成しかねるのである。この点において大学も従来の役割を変えざるを得ないのではないだろうか。「最近の大学生は○○だ」と嘆く前に彼らが求めていることを正しく把握する努力を怠ってはいけないと考えている。企業や大学も「過去の物差し」で今の大学生を見ようとすると大きく見間違えるので注意が必要だと思う。

しかし,はっきり言って学生側にも大いに問題があるという認識は必要である。私は同じ大学生だからと言って,自らを保身する又は大学生を擁護する気はない。確かに大学生も反省すべき点は多いにある。特に「社会で求められていること」を正解/不正解が分からない中で推測し自分の頭で考え,行動することが大事になる。またツイッターでの炎上で顕著になった通り,これまで以上に自分の発言または行動に対して責任を持つ必要があるのではないだろうか。

働き方/就職活動の多様化 関連ワード:「就職氷河期世代」 「3年で仕事を辞める」


12月1日から大手ナビサイトもオープンし,本格的に現大学3年生の就職活動が本格的にスタート
した。その中で,経団連による「就職活動開始時期の2ヶ月後ろ倒し」「大手志向の学生に
対する批判」など13卒も大いに就職活動のニュースで騒がしくなりそうだ。特に後者は現実問題
として「有名大学⇒大手企業⇒一生安泰」という構図が崩れているのは事実である。ただこの傾向は以前からあまり変わらないのではないだろうか。いつの時代も「就職人気企業ランキング」に登場する企業名の順位変動は小さいということを考えてみても,いつの時代も特に就職活動において「学生の気質」はそんなに変わらないというのが私の意見である。

ただ一方で「最近の大学生は極端な大手志向である」であると断定するのも少し違う感覚が
する。中堅・中小企業またはベンチャー企業もインターネットなどを活用し積極的に採用活動を
行っている,また少なくとも私の周りにいる学生の中には「大手企業では無くベンチャー企業」
に就職する人が案外多い。また「日本国内で就職する/働く」という従来の価値観とは異なる
選択をする人もいる。都会を離れた田舎地域が抱える問題を解決するためにNPOの活動をしている人や,ベトナムで日本人向けのコンサルティングや学生インターンの企画をされている方も実際にいる中で,今までどおりの「大学生/若者像」はもはや通用しないのではないか。従来の価値観で現代の「大学生/若者」を画一化することはもはやできない。

学生の多様化 関連ワード:「内向き」「○○離れ」


グローバル化時代にも関わらず「海外への留学者数」が減少していることを根拠に「最近の大学生は内向き志向」であると主張されている方がいる。「内向き=海外留学者数の減少」という認識も大雑把であるというのが本音である。「内向き=海外留学者数の減少」という発想こそ,まさに「内向き」だとも言える。見方を変えればそれだけ「日本にまだ魅力がある」,と肯定的に考えてみるのも有りなのではないか。わざわざ海外に出なくても,日本にいれば多くの欲求を満たしてくれるのだから,そこまで悲観的に考える必要もない気がする。

このような状況下では,多くの人間が各々の立場から「大学生/若者」に向けて様々なことを言ってくる。しかし,もちろん彼らは「ビジネス」つまり「自分の飯を食うために」仕事をしている訳で,彼らが「大学生/若者」の行動に対して責任を取る事は出来ないのだから,最後は大学生/若者は自分で自分の責任をとるしかない。歌手の矢沢永吉さんの言葉を借りれば「自分のケツは自分で拭け」ということだ。また大学生/若者も「大学生/若者」という立場に甘えてはいけない。

いつの時代も上の世代は多くの批判を下の世代にするもの。ただ彼らの批判(時にはエール)に勝つためには,「結果/行動」で示すしかないのではないか。各々が「結果/行動」を実際に行えば,例え批判されても感情的になる必要はなくなる。当然,若い世代は上の世代と比較しても圧倒的に「経験」が不足している。多くの場合,「経験」は「年齢」と比例する側面があるので若い世代は「経験不足」であることを積極的に認めた上で,やることをしっかりやる方が賢明だと思う。生意気にインターネット/SNSを通じて自らの意見を表明しても大いに結構である。(もちろん,礼儀やルールはわきまえる必要はある)

また「最近の大学生/若者は○○だ」と嘆いている方々が,一体「どれくらいの学生数またはどの程度の考えを持った学生と出会ってきたのか」は個人的に非常に気になる。つまりいわゆる「大人」/「社会人」がどのレベル層の学生と接触しているかが問われるべきである。文句を述べている方々はどのような学生層に普段出会っているのか。私見だと多くの大学生/若者に会ったことがある方ほど,「大学生/若者」の認識に対して比較的「寛容(=的確)」であると感じる。やはり大学生/若者は多様化しているのである。その辺りを考慮せずに断定するのはいかがなのものだろうか。

さらにツイッター上で見る限りは,大学生という立場を特に強調することもなく起業家として淡々
とビジネスをしている方々が数多くいる。私は彼らと同世代であるため非常に刺激を受けている。

16歳で起業して4年間やってきて思うこと 鶴田浩之氏 http://p.tl/UO44
新しい旅のスタイルでつくる世界 石田言行氏 http://ishidaian.blogspot.com/ 
「自分を突き動かすものは何だろう」 鈴木仁士氏 http://p.tl/Qb1b
 
現代はまさに「多様化の時代」といえる。従来のような「画一的な枠組み」をもって「大学生/若者」を表現することは非常に難しい。「多様化」という「異なる価値観を持つ人」を受容する精神を養うことでもっと冷静に現実を捉えることが出来るのではないだろうか。


<まとめ>


学び/勉強の多様化 働き方/就職活動の多様化 学生の多様化


<参考記事>


就職できないことはむしろチャンスかもしれない
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20110402/p1

「最近の若者は内向きだ」仮説の誤謬
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/5d22e43a6a33acfcaace698efc108382

社会貢献を面接で語る学生を皮肉ってる場合じゃない件について
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20110415/p1


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