スキップしてメイン コンテンツに移動

ソーシャルメディアが“あなた”を変えるのではなく,“あなた”がソーシャルメディアを使って変わるということ

フェイスブック上場のニュースに世界中が注目している中で,私たちの生活にソーシャルメディアが欠かせないものになっていると改めて感じています。また昨年から「ツイッターのおかげで人生が変わりました」「フェイスブックでビジネスが変わりました」などの言葉を頻繁に耳にするようになり,かつて私も前者を事あるごとに言っていました。ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアが普及する以前には,絶対に出会うことがなかった,または繋がることはなかった人たちと繋がることができたことで,自分の人生が変わったと感じる人は非常に多いと思います。

しかし,本当にソーシャルメディアが“あなたの人生”を変えたのでしょうか。最近,私はこのことに疑問を感じるようになりました。よく言われるようにソーシャルメディアはあくまでも「ツール」であり,人々とゆるやかに繋がるための「手段」だったのです。ソーシャルメディアの中に「人の人生をより良い方向に変える」という意味が果たして内包されていたのでしょうか。もちろん,ある程度ユーザーが増えていく中で,そのような意味も出てきたのではないかと思います。

それでは,なぜ比較的多くのソーシャルメディアユーザーがそれらの恩恵を受け,「自らの人生をより良い方向に変えることができ,人生またはビジネスが変わった」と感じるようになったのでしょうか。

それは,「ソーシャルメディア」のおかげではなく「“あなた”が自分の人生をより良い方向に変えたいと強く願っていたから」だと私は思います。ソーシャルメディア登場以前にも,このようなことを考えていた方々は大勢いたでしょう。しかし,変えるための効果的な「手段」がなかった,そして変えるための「方法」を知らなかっただけなのです。私も中学・高校・大学2年次までいわゆる「普通の学生」でした。また,特にパソコンやインターネットに詳しいわけでもなく,完全な「機械音痴」でした。ちなみに大学1・2年生の時に流行していたミクシィをやったことがありません。そのくらいインターネットに疎かったのです。

いわゆる「普通」の私もどこかで,当時はそのことを「コンプレックス」と感じていました。また,元々社交的ではなかったので学校外に沢山の友人がいた訳ではありませんでした。(1・2年生の時は,恐らく自分と異なる大学に通っている友人はいなかったです)

「どうしたら学校以外で友人をつくることができるか」「どうしたら自分をもっと表現する(=目立つ)ことができるのか」「どうしたら社会人の方とお会いすることができるのか」などを必死に考えていました。心の底から「変わりたい」という思いが当時は強かったのだと思います。

その後,大学3年時に出会ったツイッターというツールの可能性を感じ,いわゆるオフ会にも参加しました。また,初めて参加した「英語オフ会」で出会った方々とは今でもお会いしてお付き合いがあります。この時に「自分を少しでも変えたい」という行動を後押ししたのは,間違いなくツイッターだと思います。

「ソーシャルメディアが“あなた”を変えるのではなく,”あなた”がソーシャルメディアを使って変わるということ」を自分の身をもって体感しました。

もちろん,全ての人が私と同じようなキッカケでソーシャルメディアを利用している訳ではないと思います。しかし,少なくともソーシャルメディアを利用して多くの人々と出会い,少しでも人生が豊かになっている人は「少しでも変わりたい,人生を良い方向に変えたい」という想いがあったのだと思います。ソーシャルメディアはあくまでも,あなたの背中を後押ししてくれる「ツール」に過ぎないのです。

最近,就職活動で話題になっている「ソーシャルリクルーティング(ソー活)」も同様に,「ソーシャルメディアというツールのメリットを生かして,就職活動を少しでも良くしたい,変えたいという想い」が必要なのではないでしょうか。(ただ,現状では理想と乖離している側面が見受けられます)

あなたが,もしソーシャルメディアを利用して何かを変えたい,良くしたいと思うのなら,先ずは「変えたい,良くしたい」という想いを持つことから始めてみましょう。それを後押してくれるのがソーシャルメディアという無限の可能性を秘めたツールなのです。

コメント

このブログの人気の投稿

[仕事]大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に

仕事は “大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に” やりなさい 入社以来、直属の上司から繰り返し何度も言われている言葉です。要するに「 ミスを恐れて萎縮しないようにしながら、何事にも決して慢心かつ油断せずに仕事に取り組む ことが大事である 」ということを私に伝えたかったのだと思います。 細かい部分にも目を配れる人は、言葉次第でミスを恐れず大胆に行くように指示を出せるが、細かい部分を蔑ろにする人にはいくら言葉で注意しても修正するのが難しい 、とも頻繁に言われています。よく指摘される「 細部に神が宿る 」とは正にこのことです。 これからも「 確認 」を怠らずに仕事の量と質の向上を意識して働ければと思います。

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道, ふと 「 あること 」に気が付きTwitterでツイートをしました。 男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに 「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合, そこに「萌え」 という感情は湧かない。ある意味で,「着物」 や「浴衣」と同じな のかもしれない。 #ひとりごと 皆さんからすれば,「 君はなんてことを考えているのだ! 」 とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ 4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより, リクルート スーツを着た就職活動生が忙しそう に している姿を駅や学校な どで頻繁に見かけるよう なりました。 リクルートスーツに関しては,以前から「 学生の個性を消して いる 」や「 皆が同じ格好をしていて気味が悪い 」などのような 意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状 です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。) 高島屋がスーツ禁止の入社式 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と して認知されているのが現状です。 しかしそんな中, 世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク ルート スーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「 カワイイ 」あ るいは 「 萌え 」という感情を抱いている場合が多いです。 反対に, 世の女子の多く (正確な数値は不明)は,リクル ート スーツを着 た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という 印象 を抱く場合が 多いようです。(あくまでも,個人の主観です) では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。 「 なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか? 」 (皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い ます が, 一般的な傾向として理解して頂けると助かります。) 正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「 非日常 」 を見い出すことが可能だからだと思います。

多忙は怠惰の隠れ蓑、という言葉について

約1ヶ月ぶりのブログ更新ではありますが、おかげ様で入社から9ヶ月が経過しました。小規模の会社に右も左も分からない新人がポンッ!と入ったもので、色々と苦労することも多いですが少しずつ前に進めていると思います。 ただし、やはり学生時代に比べて圧倒的に「忙しく」なっていることは間違いありません。学生時代のように好きな時に好きな人たちと好きなだけ会って話をすることは難しくなりました。申し訳ないと思いつつ「 仕事があるから今回の参加できない... 」という言葉を何度使っているのか?と。 そんな時にいつも思い出すのは「 多忙は怠惰の隠れ蓑のである 」という言葉なんです。忙しい、というのは良くも悪くも目の前のことに集中している訳で、ある種の満足感や達成感を味わうことが出来るものです。しかし、本当に「 大事なこと 」、さらに言うと「 なぜ? 」とか「 未来の話 」が全くできなくなってしまう性質があると思うのです。 忙しいからできない 、 忙しいからまた後で 、とか日常的に使っているワードばかりで、とても恥ずかしいです。今のことに精一杯すぎて、本当に考えなくてはならないことからどうしても目を背けてしまうようになります。つまりは、忙しい=思考停止に繋がりかねない危険信号だと思うのです。 時間はみんな平等に24時間あるわけで、要は時間配分をどうにかしてやり繰りするしか無いから、この辺りをこれから少しずつ変えていかねば。 言い訳とか怠惰はやっぱり格好わるい。