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(本の紹介)「ナリワイ」(生業)という“古くて新しい”職業観を育むために

今回は,以前に渋谷の居酒屋でお話させて頂き非常に興味深かった「ナリワイ」という考え方を広めており,モンゴル武者修行ツアーなどの企画をされている伊藤洋志さんの著書「ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方」を紹介します。


「個人レベルではじめられて,自分の時間と健康をマネーにと交換するのではなく,やればやるほど頭と体が鍛えられ,技が身につく仕事をナリワイ(生業)と呼ぶ。」





◎ 以下,本書の中で気になる個所を引用しました。


ナリワイの考え方の真髄の一つは,稼がなきゃ稼がなきゃと外部の環境に振り回されるより,自分の生活をつくる能力を磨き,それをちょっと仕事にしてしまうほうが確実ではないか,ということなのである。



そもそも現代社会にはナリワイのネタは無限にある。なぜなら,世の中が矛盾だらけだからだ。何か矛盾がある以上,それを解決することを行えば仕事になる


現代社会は,事前情報が多すぎるので,いつまでたっても始められない,ということが頻発する。とりあえず小さい規模でいいので,何かしら実行してみて自分の体で経験を得る,ということが肝心だ。二次情報をいくら集めてみても,それの正誤を判断するための体験が自分に足りないと,集めた情報を役立てることができない。


ナリワイでは,基本的に個人で行うので,誰のために何をやるのか,というのが身体レベルで分かる。(中略)また,私は,ナリワイをやることによって,会社でも働きやすくなるではないかと思っている。なぜかというと,ナリワイをやると,小さくても自力で一つの事業を立ち上げ,運営する経験が積める


このような,個人が自分の責任で商いを行うことは,古来より人間の基本的な活動であった。ところが,現代人である自分は,19年生きてきて,これをほとんどやってこなかったのだなと,古着の行商で分かった。単に時給で比べると,アルバイトのほうがいいが,少しでも時給のいいアルバイトを探すのと,自分の責任で値段を決めてモノを提供する,という体験は,まったく別次元である。素振りの練習と,実際の試合ぐらいの違いがある。


「ナリワイをつくる」というのは,それを主にして生活していくかどうかは別にしても,一個でも何かを自分自身でつくる,という経験である。これには,山を登っていてパッと景色が開けたような晴れやかな気分を味わうような感覚がある。


◎ 読書後の感想と「ナリワイ」に対する自分の考え

私は,「ノマド」や「起業」ほど大げさなものでなくても,ナリワイという考え方を通じて「お金を稼ぐ術(感覚)」を身につけることは,社会人に限らず学生においても必須だと最近感じています。つまり,「資格試験などの表面的な技能(スキル)から,(実践的な)生きるための技能(スキル)」への移行を真剣に検討する必要があります。


著書の中では「月3万円のビジネスを複数作る」と書かれていましたが,もう少しハードルを下げてもいいのではないかとも思います。例えば,1回500円のワークショップや勉強会を開き,自分の経験や技能にお金を払ってもらえる経験,アルバイトの時給よりも低いですが,不安定な時代を生き抜く上で多いに価値があるのではないでしょうか。


このようなスキルは,なんとなく会社に就職をして無意識に働きながらで,お給料をもらっている感覚では絶対に身につきません。大事なことは,自らお金を稼ぐ感覚を早期に得ることことだと思います。「自分ならどんな経験や技能を相手に提供することができるのか」を得ることがナリワイに繋がるのではないでしょうか。


残りの大学生活は,「ナリワイ」という考え方を意識して自分のこれまでの経験を「お金に換える技能」を得るための訓練をします。フィリピン留学の経験や学生向けのソーシャルメディア利用法などについては,お伝えすることができると思うので,もしご興味ある方はコチラにご連絡ください。

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