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新しい「価値」は他業界から謙虚に学ぶ



■同じ業界だけを見てても何も変わらない


ビール業界にいると、どうしても他メーカーの動向が気になるものです。だけども、最近は他業界で活躍されている企業の戦略をチェックしています。特に同じアルコール類として日本酒やワインのトレンドにはアンテナを張っています。ここでは日本酒業界の中でも、ハイブランドとして急成長を遂げている「獺祭」という日本酒を取り上げます。




特に山口県・旭酒造「獺祭」は日本全国にある蔵元の中でも1つ飛び抜けた存在だと感じます。これまでほとんど日本酒を口にしてなかった私でも獺祭のことを知っていました。従来の日本酒の飲み方と云えば、小さなおちょこで飲むものでしたが、獺祭が提案したのは「飲み口が広いワイングラスで日本酒を楽しむ」という新しい提案をしたことに大いに価値があります。


語弊を招くかも知れませんが、数百年の伝統を持つ日本酒業界は極めて保守的なイメージを持っていましたが、獺祭によるウェブを中心としたブランド戦略には目を見張るものがあります。例えば、先日行なわれたメルセデス・ベンツ・ファッションウィーク東京の協賛でスパークリング獺祭が振る舞われていたのには大変驚きました。また最近で、は世界各国に輸出されNYでは特に高評価を得ているようです。


従来、日本酒がターゲットとしてきた50代〜60代以上の層だけではなく「30代から40代の食に対する強い関心を持つ情報感度の高い層」にまで裾野を広げる戦略に取り組んできた成果が着実に現れている印象があります。ビール業界に限って云えば、これからはビール業界の競合はビールだけではありません。日本酒、ワイン、ウィスキーあるいは珈琲もユーザーの選択肢に入り、ますます競争が激しさを増してきます。となると、ここは「謙虚に他業界から学ぶべきことはきちんと学ぶことが重要になります。


日本酒やワインの楽しみ方、珈琲豆の焙煎に対するこだわりなどはビールに通ずる部分が大いにあります。クラフトビールはまさにそれらから学び、新しいビールの楽しみ方や価値を広める必要があります。今後は個人レベルで獺祭のブランド戦略を参考に、新しい戦略を練っていくことにします。ということで日本酒の勉強をせねば。


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