スキップしてメイン コンテンツに移動

【オピニオン】拝啓、 内定者の皆様へ 「後輩のため」って本当ですか?

こんにちは,毎週恒例のブログ更新です。


今朝,このようなツイートをしたところ反響があったので紹介します。




就職ナビサイトの12月オープンを間近に就職活動を控える大学3年生のために,既に企業から内定を獲得した大学4年生が内定者団体という形で彼らにアドバイスをするというイベントやセミナーをTwitter上でよく見かけます。


このようなイベントやセミナーを通じて後輩である大学3年生を支援したい,という純粋な気持ちを持つ方が大勢いることは良いことだと思います。しかし,私はこのようなイベントを見る度にある違和感を持ってしまいます。それは,


これって本当に後輩のためにやっているの?


先ほどのツイートにも書きましたが,企業から内定を獲得した大学4年生の中に内定者ハイ」という感覚があるのではないかと私は考えています。つまり,自分が就職活動を通じて企業や社会から認められた状態(社会的承認)が冷めやらぬまま,就活を控えた大学3年生に鼻高々と自分の成功体験を語ってしまうのです。


私は彼らが「後輩のため」にという純粋な想いがあり,その上でそのようなイベントを企画すること自体に異論はありませんし,努力の末に意中の企業から内定を獲得したこと自体は素晴らしいことだと思います。


しかし,意識的にあるいは無意識の内に自らの承認欲求を満たすために後輩である大学3年生に就職活動の成功体験を自慢げに語っているとしたら非常にヤバいと感じます。


少なくとも私が好意にしている人たちは,「内定者ハイ」という幻想に惑わされずに淡々と自らのやるべきことをやっています。そんな彼らを私は尊敬していますし,絶対に負けたくないとも思っています。


今回の文章について皆さんはどのように考えましたか?感想や意見がありましたら,お気軽にメッセージを飛ばしてください。みんなで一緒に今回のことについて考えてみましょう。


もし今回の記事について「いいね!」と思ったら以下にあるソーシャルボタンでお気軽に記事をシェア(共有)してくださると非常に嬉しいです。また,ご感想やご意見などもお待ちしております。お読み頂きありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。



コメント

  1. 内定者の自己充足のために行う就活体験談を否定かつ批判した流れのまま、鮮やかに自分の就活体験談受付の告知をしている所がウィットに富んでいて最高に面白かったです!

    「自分は、自分だけは、違う!」って感じが文脈から滲み出ていて参考にしたいと思いました。

    返信削除
  2. コメントありがとうございまいした。

    >内定者の自己充足のために行う就活体験談を否定かつ批判した流れのまま、鮮やかに
    自分の就活体験談受付の告知をしている所がウィットに富んでいて最高に面白かったです!

    「大学3年生の方に直接(1対1)聞かれれば就職活動に関する話はしますが,自分からペラペラと大勢の前で自慢話はしない」という意味なので誤解なきようお願いしますね。

    *今回の記事については賛同意見が多く,(議論としては)健全でないと思っていたところにこのようなメッセージがあり非常に感動しました。これからもご意見あればぜひ書いてください。宜しくお願いします。

    返信削除
  3. 原田様、ご返信ありがとうございました。
    議論を健全にしたいとのことでしたので真摯にコメントいたします。


    「1:1で直接聞かれれば話すが大勢の前で自慢話をしないという意味」とのご返信を頂きましたが、論点が人数問題にすり替わり、これでは本質的な問題点は全く解決できていないのではありませんか。

    この議論で重要なのは、人数の問題ではなく「後輩に誤情報を与えるか否か」ではないでしょうか。その視点で考えれば、1:1であろうと大人数であろうと人数の問題ではないと思われます。どちらにせよ「後輩のためにならない誤情報の発信」という問題は残っています。

    重要点が、聞かれれば応えるという受動/能動の問題だとしても「セミナーを開き、参加者を募る行為」と「ネットで告知し、希望者を募る行為」に大差なく、所詮聞きたい人に話しているという点では、彼らと原田様はご変わりないように思います。

    そもそも「後輩のため」は誰がどのようにして判断するのでしょうか。誤情報が後輩のためにならないのは明らかですが、内定者は「内定」を得たという事実がある限り、行為が承認欲求から来るものであっても、後輩の参考例足りえるという意味において誤りはありません。社会人にしても「社会人」という先達である限り同様です。聴講者はそれも織り込んで聴きに行っているのではないでしょうか。それでも懸念するのであれば「あくまで参考例の一つだけど」と後輩のリテラシーを喚起しておくことで、誤情報の伝達は解決できる問題であると考えます。

    たしかに内定者の自慢話が気持ち悪いことは確かです。しかし、自分には「後輩にならない」とお題目を立てながら、主観的な考えで彼らの行動を全否定する考え方も同様に気持ち悪さが拭えません。むしろ善意から来る「自分たちは正しい」という盲目的な意見による否定、また大勢の前で話す人々への妬み、のような感情が文章の合間から感じられて、楽しく読ませて頂きました。

    賢明な原田様ならおわかりかと思いますが、海外留学をされる中で多様な価値観に触れられ、文化や経験の伝達の重要性は学ばれているかと思います。たとえ情報に誤認があったとしても、就活における成功例の一つとして、経験というバトンを次の世代に繋いでいく行為自体は咎められるものではないのではないでしょうか。


    長文駄文失礼いたしました。

    返信削除
  4. 斉藤様,コメントありがとうございました。

    「就職活動の体験記」を後輩に伝えること自体は何の問題もなく非常に重要なことだと思います。この点に関しては「全否定」はしていません。(*「人数の問題」に関しては私の見解は確かに論点がズレていました。)またコメント(「後輩に誤情報を与えるか否か関連)で指摘されている通り「あくまで参考例の一つだけど」という注意喚起がイベント主催者から参加者になされているのであれば,これまた非常に良いことだと思います。

    コメントが論理的かつ明晰で非常に分かりやすいものでした。今後とも宜しくお願いします。

    返信削除
  5. はじめまして。
    本文において『非常にヤバいと感じます。』と仰っておりますが、具体的にどう"ヤバい"のでしょうか。
    私も(おそらく)同種の"ヤバい"という感覚を「学生団体」という存在において感じているのですが、それがどう"ヤバい"かを言語化できておりません。そのため、同種の感覚における答えのひとつとして是非お聞きしたいです。

    (「学生における承認欲求の矛先としての学生団体」というテーマの記事を自ブログに書いたことがあるので、よろしければご覧になっていただけたらと思います
    http://katsuya1989.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html )

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

なぜ,男子はリクスー女子に萌えるのか

昨日,ある方とのランチ&カフェを楽しんだ後の帰り道, ふと 「 あること 」に気が付きTwitterでツイートをしました。 男子の多くが,リクルートスーツ女子に「萌える」理由は そこに 「非日常」を見い出すからだ。「日常」である場合, そこに「萌え」 という感情は湧かない。ある意味で,「着物」 や「浴衣」と同じな のかもしれない。 #ひとりごと 皆さんからすれば,「 君はなんてことを考えているのだ! 」 とお叱りを受けそうですが,僕はいたって真面目です(キリッ 4月に入り就職活動の選考が本格化したことにより, リクルート スーツを着た就職活動生が忙しそう に している姿を駅や学校な どで頻繁に見かけるよう なりました。 リクルートスーツに関しては,以前から「 学生の個性を消して いる 」や「 皆が同じ格好をしていて気味が悪い 」などのような 意見が盛んに言われ,常に議論の的になっているのが現状 です。(企業の中には,私服での入社式を行う場合もあるようです。) 高島屋がスーツ禁止の入社式 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120401/k10014129411000.html このような議論があるとは言え,基本的に日本の就職活動で は「リクルートスーツ」着用が義務ではなくても,暗黙の了解と して認知されているのが現状です。 しかしそんな中, 世の男子の多く(正確な数値は不明)は,リク ルート スーツを着た女子(=リクスー女子)を見て「 カワイイ 」あ るいは 「 萌え 」という感情を抱いている場合が多いです。 反対に, 世の女子の多く (正確な数値は不明)は,リクル ート スーツを着 た男子(=リクスー男子)を「カッコイイ」という 印象 を抱く場合が 多いようです。(あくまでも,個人の主観です) では,ここで皆さんと一緒に考えたい「問い」があります。 「 なぜ,多くの男子はリクスー女子に萌えるのか? 」 (皆さん,それぞれ好み(または性癖w)などはあるとは思い ます が, 一般的な傾向として理解して頂けると助かります。) 正解が何であるかは不明ですが,私自身はそこに「 非日常 」 を見い出すことが可能だからだと思います。...

[仕事]大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に

仕事は “大胆かつ繊細に、繊細かつ大胆に” やりなさい 入社以来、直属の上司から繰り返し何度も言われている言葉です。要するに「 ミスを恐れて萎縮しないようにしながら、何事にも決して慢心かつ油断せずに仕事に取り組む ことが大事である 」ということを私に伝えたかったのだと思います。 細かい部分にも目を配れる人は、言葉次第でミスを恐れず大胆に行くように指示を出せるが、細かい部分を蔑ろにする人にはいくら言葉で注意しても修正するのが難しい 、とも頻繁に言われています。よく指摘される「 細部に神が宿る 」とは正にこのことです。 これからも「 確認 」を怠らずに仕事の量と質の向上を意識して働ければと思います。

現代は「選択肢が少ない」方が幸せかも知れない-「選べないなら、選ばない」-

ツイート 「選ぼうとするから選べない」むしろ「敢えて"選ばない"」というシンプルな考え方。 過度な主体性ではなく,流れに(意識して)身を任せる受動性。(過去のツイート) 膨大な選択肢から無理して何かを選ぼうとするときつくなる。選べないなら、選ばない。取りあえず限られた選択肢の中で選ぶ。"良い"選択肢は少なくなったかも知れないけど、選ぶ際の負担は軽くなった。これからは選択肢を「選ぶこと」から「捨てること」という考えにシフトしていきます。(過去のツイート) 私たちは,人生の中でことある度に 「選択すること」 を否応なしに迫られています。 何を食べるのか , 何を飲むか , どの学校に進学するのか , どこに就職するのか , 誰と結婚するのか , 老後はどこで過ごすのか ,など多くの選択が私たちの人生を決定づけると云っても過言ではありません。 また,選択肢の多さや比較的自由に選択できる権利は,多くの場合 「経済的環境」 と関連があると思います。その意味で,先進国の日本は比較的多くの選択ができるという意味では,非常に恵まれた環境です。 インド のような カースト制度 はなく,海外からの信頼の証であるパスポートを持ち 海外旅行 にも自由に行くことが出来る,また 学歴社会 といえども就職先も基本的には 自由意思 で選ぶことが出来る,私たちは数え切れないほどの 選択肢 と 選択の自由 を抱えて暮らしています。さらに,昨今の ソーシャルメディア の普及により 膨大な情報 とそれに伴う形で (本来,知るはずのない)選択肢 が可視化されるようになりました。それが,結果的に 「 隣の芝は青く見える 」 ことになるのです。 ところで皆さんは, 数多くの選択肢があることを幸せだと感じますか 。もちろん,選択できないよりは出来た方がいいに決まっていますが,果たして本当に幸せなのだろうかというのが,ここ最近私が考えていることです。 過剰な選択肢 は時として, 大きな迷いを生み決断を遅らせる原因 となっているのではないでしょうか。 日本でも非常に売れている 『選択の科学』 の著者でコロンビア大学の シーナ・アイエンガー教授 のTEDスピーチ 「いかに簡単に選択をするのか」 が,私が考えていることを分かりやすく...