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[本の紹介]私たちにとって本当の“豊かさ”とは?「インターネット的」(PHP新書)


こんにちは、毎週恒例のブログ更新です。



10年以上前に書かれたとは思えない内容...



2012年も残すところ数日ですが最後の最後に素晴らしい本に出会えたので紹介します。コピーライターとして活躍する糸井重里さんが2001年に出版された「インターネット的」という本です。本書はガチガチのインターネット論ではなく、インターネットが登場してから私たちの暮らしの「何が、どんな風に変わっていったのか、これからどうなっていくのか」を糸井さんならではの視点で書かれています。また後半部に登場する「消費のクリエイティブ」という言葉には注目です。以下、文中で気になった箇所を抜粋します。



僕は思う:ソーシャル時代のシェア(共有)


また、実は、情報は、たくさん出した人のところにドッと集まってくるんだ、という法則があるのです。貰っているばかりいる人は、いつまでたっても「少しもらう」ことを続けることになります。おすそわけ(*シェア)を沢山している人や企業には、「これも、あなたが配ってください」という新しい情報が集まる交差点のようになっていきます。モノやコトも、情報のかたまりですから、これは新しい意味での生産手段を手に入れたのと同じことになります。また、配られた人は、この人や企業のシェアをしてくれるものは信頼できると思ったら、その次の情報を待ちますから、そこには不定形な市場もつくられている可能性があります。(P.31)



僕は思う:50点で構わないから早く出すこと


さて、インターネットによって、表現になる前の思いがやりとりしやすくなった。論文として、企画書として完成しなくても、可能性に満ちた思いをアドリブ的に伝えることができるようになったということです。完成を待っているうちに、世の中が進んでしまって、そのアイデアが必要なくなってしまうことも多くあるでしょう。アイデアやヒントがまだ幼いうちに、他者に向けて何とか出してみる。そしてたくさんの相手が、「未完成だけれどポテンシャルを感じる」と言ってくれたらしめたものです。自分ひとりじゃできないことでも、その受け手の力に手助けされて、素晴らしい現実を生み出せるかもしれないのですから。(P.51〜P.52)



僕は思う:リーンスタートアップ的な思考法


トライアル&エラー系の多産系。速くたくさん何度も試すこと、これができれば、何かをつくるときの速度も精度も、ぐんぐんとあがります。「インターネット的」な時代は、怖れず速く試すことが大事です。コンピュータの進歩は、ドッグイヤー(犬にとっての一年は人間なら七年分だとか言われます。なぜ、速い進歩をしたかといえば、コンピュータのソフトは、完成する前の段階で、何度も何度も実験をくりかえせるからです。試すことに必要なのは、基本的にデジタルな情報だけです。(略)こういう方法は、コンピュータの世界以外のところで新しいやり方を、きっと、たくさん生み出すでしょう。(P.78)



僕は思う:20世紀型の工業化社会的意識からの脱皮


「大量に生産して、大量に売る」ということだけが、資本主義のルールだったと、みんな信じ込んでいましたが。はたしてほんとうにそればかりだったのか、と言えば、そんなこともなかったと思うのです。地方の杜氏がつくれる分量だけつくる地酒や、一台ずつ設計して手作業で組み立てる自動車や、元は企業のデザイナーだった主婦がつくる子供服や、そういった、少しつくって少し売ることで成り立っていたビジネスは、探せばけっこうあったはずです。こういう「消費者が一定の数だけそろえば商売になる」仕事がうまくいくには、一定の数の消費者と出会うチャンスが必要になります。それをするための最高の道具として、インターネットというものがあります。(P.89〜P.90)



僕は思う:わけのわからない(無駄な)ことに価値がある


問いがあったら答えがすぐ近くにある、というクイズのような問題ばかりを、今までのメディアじゃ取り上げてきましたが、実際の人間たちは、答えのない問題についてしゃべったり考えたりする場をもとめていたのではないでしょうか。テレビをはじめとするメディアが、すぐ答えの出る問題ばかりを追いかけているときに、インターネットやケイタイや長居のおしゃべりで、若い人たちが体を使って防衛しているような雰囲気を感じます。勝ちと負け、強いと弱い、という二項対立的な思考に慣れきってしまったいま、そういう枠組みにおさまらない「わけのわからないこと」を考えたり語ったりしたいという雰囲気が自然に出てきているようです。新しい時代には、答えの見えないことが、もっと価値を持つようになるのではないでしょうか。(P.93)



僕は思う:企業の生き様(価値観)が競争力になる


お金をもっている企業なり団体なりが、金銭的な利益を生まないことにお金を使うことが、結局、企業のためになるということを僕は考えています。これからの社会では、企業の「考え方やセンス、モラル、理想」などという個性に、消費者が賛成するというかたちで商業活動が行われる可能性は、おおいにあり得ると思うのです。商品をつくる、サービスをつくるというところでは、あらゆる企業が、どんどん平均化していきます。昔のように、製品にはっきり優劣がつくような差はなくなっていきます。そうなると、何を基準に人々は
、その企業の商品を選んだり、その企業の商品を選んだり、その企業のサービスを心地よく感じるのでしょうか。その企業の実現したいこと社会像に、まるで選挙の投票をするように「買い物」をするようになるのだと思うのです。おそらく企業が、広報活動や商品を媒体にして、自分たちの理念・理想を伝えるということは、その企業の存続に関わるようになっていきます。(略)選挙の投票で政治家が成り立つのと同じように、企業も、良いことをする企業、みんなが喜ぶことをする企業、おおぜいの信頼を得られる企業が残っていくのではないでしょうか。(P.106〜P.107)



僕は思う:想像力の豊かさが欠乏している


願うこと、欲望を持つことは、ほんとうは、けっこう難しいことなのですね。お金をたくさん集めたい、というのは欲望のようですが、実は「そのお金で何がしたいのか」がわからない。新しいビジネスモデルがどうしたとか、ソリューションでサクセスでネットでマーケで創業者利益でゴーゴーゴー
!みたいなことをいくら知っても、それは集金についての方法論であって、欲望やら消費やらについて語っているものではないのです。売りたい側にも、買う側にも、「イメージ」を生み出す力がなくなっているのではないでしょうか。ビジネスを考える人々も、消費をするはずの人々も、考えの行き着く先が、いったん「お金」でストップしてしまっている。
「消費のクリエティブ」「使うことの豊かさ」についての想像力が衰退してしまっているから、お金だけが無理矢理に流通させられているけれど、誰もわくわくしないし、楽しそうに見えないのですね。(P.181〜P.182)



僕は思う:消費なくして生産なし(消費観を育てる)


遊び方の上手な人とか、休みを楽しく過ごせる人は、生産の場面で役に立ってはいないように思われますし、単なる趣味人として変わり者扱いさえされしまいますが、ここに「消費のクリエティブ」があるのだと考えたら、まったくちがった見方ができるでしょう。だって、モノを生産することは、いまの日本ではすでにできあがっているのです。魅力的なモノがつくれないことや、ものをつくっても消費してもらえないことのほうが、いまは問題なのです。だからといって、みんなして「一億総セールスマン」みたいになっていっても、売れないものは売れない。消費の場面をこそ、クリエティブの視点でとらえなおさなければならないです。(P.212)



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